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ふう。3年はもう引退なんだよな。

この中学剣道の三年間を振り返ってみようか・・・いろいろあったなぁ・・・

中学1年の時
クラブに入る前 八歳の頃「るろうに剣心」を読んで以来、ずっと憧れてきた剣道。
小学校には剣道部は無いし、近くに道場があることも知らなかった。
『中学校に入ったら絶対に剣道部に入ってやる!』
多分当時の新入部員の中で1番強く入部を希望していたかもしれない。
(本当は上の漫画に出てくる「弥彦」という少年と同じ年、つまり十歳から
始めたかったけど間に合わなかった。)
受験の時だって、今の学校を選んだのは
・男女共学  ・剣道部がある
この二つだけだった。学校方針なんてもちろん関係無かった。
そして、入学後。クラブ見学期間が始まる前から私は
放課後1時間30分。クラブが始まってから終わるまでずっと
格技室でクラブを見ていた。
「いつかあんな風になりたい」と憧れながら。
毎日、毎日、憧れの先輩達を見てきた。
クラブ入部直後 「入った!入ったぞ!!ついに剣道部に入った!!!」
もちろんすぐに道着は着せてもらえなかったし、掃除だってさせられた。
でも全然不満じゃなかった。それぐらいの覚悟は出来ていたから。
先輩と後輩という上下関係も初めて味わったけど、
別にそれほど苦じゃなかった。
むしろ初めて「尊敬できる人」というのができて何となくうれしかった。
初めて尊敬したのはその時の部長。H先輩だ。
今でも尊敬している中では1、2を競ってる。
口調はちょっと怖かったけど、とても後輩には親切で、優しくて、
それでいてとても威厳があった。
女子の部長だったけど男子の先輩達も逆らわなかったし、
「自分が部長になったらこの人みたいになりたい!!」と本気で思った。
一緒に入った他の男女15人はまだ意識になかった。
1ヶ月後 道着を着せてもらえた。三年生の先輩が着方を丁寧に教えてくれた。
竹刀はまだ学校の物だったけど、その頃から竹刀の銘を覚えるのが癖になった。
「天心」「蘇峰」「白峰」「勇心」・・・・個人的には「白峰」がよかった。
どうやら新入部員の男子には三人「経験者」がいたみたいだ。
「経験者」とはクラブに入る前にすでに道場に行っていた人のことを多く指す。
Y.T君、K.W君、I君だ。
二、三年生の先輩達に混ざってすり足とかの練習をしていた。
I君の後ろ姿しかよく覚えていないけど。すごいなぁとしか思えなかった。
自分達はひたすら先輩に教わって、
すり足、三挙動、面打ちとかの練習だった。
先輩の「やめ」がかからなくて、「125、2、3!!」と掛け声を出していたのを覚えてる。
隣りでやっていた男子に負けたくない一心で声を張り上げていたのも覚えてる。
2ヶ月後 格技室のコートのテープ貼り換えで1年全員で定規と雑巾でテープをこするという
面白い事件(?)もあった。結局何かの薬をまいて顧問が取ったんだと思う。
そして、面打ちや素振りなどがきれいに出来た人から防具を1つずつつけていけるという
何とも効果的な試練もあった。
いつまでたっても垂から後がつけられない私に、副部長がわざわざ早めに練習に来てくれて、
稽古に付き合ってくれた。その時の言葉もすごく嬉しかった。
「みんなが来てへんうちにどんどんやってまい!(やってしまおう!)」
すごく美人で強くって、頭もよかったM先輩。まさに「才色兼備」とはこの人のことだ。
一緒に来てたS.H君と共に、どんどん防具をつけていった。胴と小手!
男子もたしかだれか先輩が来ていた。

それから少しして、私は特定の男子に特別な感情を抱くようになっていた。
K.T君。みんなからは「つじけん」と呼ばれていた。
いつしか私は彼をライバル視するようになる。「あいつだけには負けたくない」と。
でもそれ以外にも何かを彼に感じるようになっていた。それが何かはまだわからなかった。
3ヶ月後 この頃から私は剣道部恒例のバレーボールに参加するようになってきたのかなぁ?
名付けて「臨時バレー部」。ミーティングは短い時は5分で終わったし、ランニングもそんなに
長い時間走らないから余った時間はずっとバレーをしていた。
かなり楽しかったよ。H先輩達とは違うグループでやっていたけど、
何よりM.N先輩のボールはすごかった。

月末。そう。中体連の先輩達の引退試合だ。
H先輩が、M先輩が、・・・大好きな先輩達の最初で最後に見る公式試合・・・。
特にH先輩は1回近畿大会まで行った事があるそうだ。
でも初めて見る剣道の公式試合。人の多さに圧倒されて、
残念ながらその3人の先輩の試合は見れなかったと思った。
でも代わりに男子キャプテン、U.N先輩の素晴らしい試合を見た。
初めに一本取られていたけど試合終了寸前に背中からこけながらも引き面を取った。
勢いでコートの線まで滑って行った、すごい引き面だった。
あの瞬間に私達はみんな叫んだ。「N先輩ファイトォー!!!」
でも延長5回、ついにN先輩は負けてしまった。
残念だったけど、とりあえず・・・・・・「お疲れ様でした。先輩!」

4ヶ月後 引退してからも1、2ヶ月の間はH先輩達は来てくれた。
おかげで地稽古や掛かり稽古を受けてもらう事も出来た。試合も出来た。
新しい部長はT.T先輩。女子部長だ。
そして女子キャプテンは新人戦で優勝したM.O先輩。優しいし、頭もすごくいい。
男子キャプテンはM.N先輩。私が今も尊敬する2、3番目の先輩だ。

多分この頃だったと思う。1年の女子が先輩に怒られたのは。
H元部長に、M元副部長に、私が当時2、3番目に尊敬していたI先輩。
「やる気あるんか1年。調子乗ってんで!?
やる気無いんやったらいつでも退部届出してええで。
来年も1年に混ざって一緒に基本からやりなおしてくるか!?」
あのH先輩に、そこまで言われた。私の尊敬して止まない、あのH先輩に。
「こん中で来年も竹刀持って良さそうなん誰?Iさん。」
「そうやな〜多分こん中で来年も持って良さそうなんyukariさんくらいしかおらんやん。」
すごくうれしかった。日頃の態度をちゃんと見てくれてる。
先輩達に、私の尊敬する先輩に認めてもらえた!!!
でもすぐに思った。私だけ誉められて、他の人達はどうなんだろう。素直に喜んでいいんだろうかと。
現にその他の人で今もクラブに残っている人はその時のことを昨日の事のように覚えている。
でもみんなは先輩達を恨まなかった。その時は恨んでいたけれど、
今は「怒られたという事は、先輩達がうちらを見捨ててへんかった証拠や。」と思っているみたいだ。

5ヶ月後 そろそろあまり3年の先輩達は来なくなってきた。
男子のU.N先輩とW先輩はまだまだ来てくれていた。
練習メニューは主にN先輩が仕切っていた。
前のH先輩が仕切っていた頃よりキツいメニューだったけど、それはそれでよかった。
その分だけ、強くなれるのなら。

じきに秋季大会が迫っている。そう。レギュラー選出だ。
『試合に出たい!!』ただその一心で練習していた。
夏休みだって、1日だって素振りを止めた事は無かった。
ただ、新人戦に出たかった・・・。

6ヶ月後 レギュラーメンバー発表。しかし私の名前は無かった。
一瞬泣きたかった。私の苦労は何だったんだ。なんの為に・・・

悩んでも仕方がない。選ばれなかったのだからそれまでだ。またがんばるまで。
そう思って再び練習に励んでいると当時のコーチ:Oコーチに
踏み込みの際に小指を踏まれてしまった。
その時は少し痛いだけだったがだんだん我慢できなくなってきた。
しかし「明日になれば大丈夫だろう」と甘く見て、
保健室にも寄らずそのまま帰宅。
見ると指の色が変わっている。大至急医者に行ったところ結果は「骨折」。
仕方がないので「明日のクラブは見学する」とH先輩に連絡。
するとH先輩はとても心配してくれた。
「yukariさん大丈夫!?無理せんときや?しかし惜しかったな〜
ウチ絶対yukariさんレギュラーに入ってると思ったんやけどな〜。
いっつもがんばってるのにな〜!でもホンマ、無理したらあかんで!」

先輩・・・・・(号泣)

ん〜この頃ぐらいからだったかな・・・男女が分裂して練習をはじめたのは。
しかも男子を仕切ってたのがあのM.N先輩。何だかみるみる男子と引き離されてしまいそうで
とても怖かった。追いつけなくなってしまうのがたまらなく嫌だった。
だからほんのわずかなヒマを見つけては男子の練習を見ていた。『負けたくない』その一心で。

・・・しかしそれでもバレーボールはやまなかったような記憶があるのは私だけかなぁι

7ヶ月後 この時だったっけ・・・?修学院中学に初めて行ったの。
それで練習試合をしたはずだけど・・・あまり覚えてないやι

相変わらず男女は分かれっぱなしだと思った。この辺はあまり記憶が定かじゃない・・・

8ヶ月後 そろそろ足が冷たくて死にそうになる季節。
ハンパじゃなくて冷たかったのを覚えてます。先輩なんて足に色が無かったです。
そんな中確か竹友会の大会がありました。
家族も見に来たみたいですがあえなく1回戦で秒殺。
私の初陣はこうして15秒で幕を下ろしたのでした・・・ι
9ヶ月後 年が開けて・・・
冬休みも素振りはばっちりやってましたよぉ!
そしてこの月には一級審査があるのだ!
先輩達にたくさん連絡して、冬休みの間に何回か練習の時間を割いてもらいました。
はじめは御所でやってましたが管理の人に止められ仕方なく校内でやる事に。

で!やってきました一級審査!!寒い!!!
しかしこれぐらいでひるんでどうする!受かるったら受かるんだぁー!!!
――結果。受かりました。
そしてライバル視していた彼はというと・・・男子で唯一受かってました。
『「つじけん」・・・』何となく、安堵していた自分でした。
そして・・・その頃はすでに何となくわかってました。
―――自分は彼が好きなんだと。

10ヶ月後 しかし!!せっかく一級に受かった彼、なかなかクラブに来なくなってしまいました。
『どうして?何で?何で今日もいないの??』不安でたまらない毎日。
――あいつがこんなに休むはず無いのに・・・
彼はこの後、陸上部へ転部しました。
知った時はショックでしたよ。自分が見える位置にもう二度と帰ってきてくれない。
ライバルがいなくなるって意味でもだったけど、やっぱり・・・好きだったから。
心の中で自分に何度も言い聞かせました。
・・・・・・さよならつじけん・・・・・・・・・さよなら・・・・・・・・

そして!私はついに自分の家の近くに道場があることを発見しました!
「北清水講武会」・・・この道場に入る事で、後の私は大きく変わっていきました。
決して大規模とは言えない団体だけど、家庭的な温かさが残っていて、
なじみやすかったのかもしれないな。

11ヶ月後 やってきました春季大会!
そしてついに私も晴れてスタメンに!!
やっと・・・やっと実ったよ・・・

――で、
この時は確か棄権者がかなりいて、一気にベスト32ぐらいまで不戦勝しちゃったんですが
たしかその次で負けました。
でもね、自分でも驚くぐらいすっごく落ちついてたんですよ。
相手のスキを探す余裕があったんですから。
『夏季は行けるぞ』と確信しました。

ちなみにこの次の日の団体戦だったと思います。
審判講習会か何かと重なってたんだろうか?
一本入る度にマイク持ったおっさんが「今の一本はですね――」
・・・もういいよ引っ込んでてよ。
開会の挨拶も45分もいらないから!!

ちなみにこの頃にはもう男女分裂は終わってたと思います。

そしてついにH先輩達の卒業。
今まで本当にお世話になりました。高校でも頑張って下さい。
ときどき中学に遊びに来て下さいね。待ってます。

中2は激動だったなぁ〜

中学2年の時
1ヶ月目 ついにやって来たぞ2年目!!
しかしこの時までに残っていた部員数は
男子6→4人  女子9→7人と減っていた。
男子はこの後じきにもう一人やめたので3人になってしまいました。
しかも最初にやめた二人は経験者!!
今は二人ともテニス部だったと思います。(女子の人は陸上部と漫研?)
早い話が・・・残った経験者はひとり!Y.T君のみ!!
そして先輩達のアピールがきいたのか、
新入部員はざっと30人ほど!総部員数は50人近くになった!!

・・・でも・・・部員多いのいいけど・・・教えるの大変だよ・・・

2ヶ月目 いよいよ新1年がクラブに来たぞぉ。
私も教えようー・・・と思った矢先。

すり足の練習中に足を思いっきり捻挫して、また剣道の出来ない体に。
しかもこの日!T.N先輩に駅まで送ってもらったんですよ!
荷物持ってもらったんですよ!!ホントは降りる駅違うのに!!
はぁっ・・・私達って、本当にいい先輩に恵まれて、幸せです。

3ヶ月目 この時の思い出はやっぱり・・・
ずぶぬれになってやったバレーボールです。
ランニングが早く終わって、いつものようにバレーをしてたら
雨がちょっと降ってきたんです。
でも「こんくらいの雨何でもないわ!」って感じで
ずっとやってたら、どんどん雨が強くなって、
しまいには滝のような雨になってました。
でも楽しかった。みんなでいるのが楽しかった。
まだ「つじけん」のことを引きずっていた私も、
ちょっとずつ解放されていった・・・
Y.T君。今度は彼をライバル視した。
ライバルで、友達で。
でもそんな彼に、なぜか私は入部した時から話しかけづらかった。
4ヶ月目 この月は四つくらい大きな出来事があった。(私にとって)
まず、予備登山でのこと。
ウチの学校は2年生が登山キャンプがあるので、いつもその前に
近くの山で予備登山をするのだ。
そして予備登山が終わって帰る時・・・友達を待ってたら
Y.T君が降りてきたのだ。
(ちなみにこの日はクラブがこの後あったのでどっちみち後で会う)
初めはわからなかった。Y.T君が帽子をかぶったところなんて見たこともなかったからだ。
しかしその顔は、まぎれもなくY.T君だった。
その頃からか?何となく彼の顔を見るのが恥ずかしくなってきた。
なぜかは、やっぱりわからない。彼とは元から話しづらかったし。
その日のクラブで、私は初めて(最初で最後か?)Y.T君から地稽古で一本とった。
私はスタミナは自信があるほうだったし、多分登山の後で疲れていたんだろう。
彼の親友S.H君の発言からしてY.T君はすでにヤバかった。
「Tが狂った〜〜『暑さでやられてらりらりら〜』とか言っとる〜〜〜」
確かにιあんたはそんなこと言うキャラじゃないもんね。

そして・・・1番思い出に残っている祇園祭。
クラブの先輩と自分達とで合計13人で行った。
私は当初私服で行く気だったけど、先輩全員と友達全員に推され浴衣を着ていった。
阪急烏丸の改札口でみんなと合流。男子もいた。
M.N先輩とK.I先輩こと「マティ先輩」、そしてI先輩。
同じ学年では・・・・Y.T君。
男子はみんな私服だった。
Y.T君の姿を見つけた時、私は何だか恥ずかしいような、嬉しいような、
複雑な気持ちになるのだった。
――ホントはいて欲しかったくせに、何恥ずかしがってんだバカ・・・
ふとそんなことを考えていたりもした。なぜかは、やっぱりわからない・・・
宵山だったかな?6:00ごろから歩き始めた。
薄暗かった辺りが徐々に暗くなって・・・8:30ごろまでみんなといた。
途中でいきなりY.T君に声をかけられた。
「なぁ、yukariって道場行ってるん?」
あまりに突然の問いだったので、私は素っ気無い答えしか返せなかった。
「あぁ、行ってるよ?」
「ふーん。」
それで終わってしまった。もっと話せたはずなのに。話したいはずなのに。
阪急百貨店まで来た時、I先輩が持ってきたポカリスウェットの1.5リットルのボトルを持ち出して
「みんなで飲もうや!」
と言って、みんなで回し飲みをはじめた。
回し飲みは初めてだったけど別に拒否感はなかった。
いや、それよりもこれって・・・!(以下爆弾発言のため削除)
あいにく、たしか回ってきたのは私が先でしたが、それにしたって(以下同文)
そして私達3人の友達はすぐに帰ったわけです。
後で聞いた話によるとY.T君は9:00ごろまでいたそうです。

そして!!またやってきました夏季大会!!
先輩達の引退試合にして私の初出場!!
私の友達二人はこの日登山キャンプの前日だったため来なかったのだ。
実は以前この大会のプログラムをもらったときに、私はY.T君にこんな事を言われた。
「yukariやったら・・・ここまで行けるやろ。」
そう言いながら彼が指差したのは4回戦。勝てばベスト16に入るという試合。
そこに書いてあったのは某O中学校のM.Hさん。
まさか行けるはずはないだろうとは思いながらも、Y.T君の言葉を信じてみることにした。
そして、その期待を裏切りたくないと思った。
そして当日!私の試合は午後からだったのでお昼を食べてから男子のところへ行っていた。
その時まだY.T君はお昼を食べていたと思ったが、彼は手を休めると言った。
「yukariまだ残ってんの?」
「まだ試合やってへんもん。」
・・・・・・私としたことがまた素っ気無い答えを・・・・・・
そしていよいよ午後。私の戦いが始まった。
するとどうだ!みるみる3回戦まで勝ちあがって行くではないか!
私はずっと念じつづけていた。
『負けられない・・・Y.Tのためにも・・・絶対に負けられない!負ける訳には行かない!!!』
その思いだけで勝ちあがってきた。
そしていよいよ4回戦。勝算は0に近かったがぶつかるだけぶつかった。
多分30秒経たないうちに負けていただろう・・・ι
でもベスト16の戦いというのがこうも緊張するものなのかと思い知らされた。
私はDブロックであったにも関わらず、もうほとんど面を外している時間がないのだ。
でも、Y.T君の行っていたノルマは果たせた。私はそれで満足していた。
ちなみに、私を破ったそのM.Hさんはそのまま1、2年の部で優勝したのだ。

次のクラブの日。休憩時間。
いづらいのを我慢しながら友達二人とY.T君とS.H君の側にいました。
そしてまたもや突然のY.T君の爆弾(?)発言。
「yukariをM.O先輩なみに鍛え上げる!」
この言葉がこの時の私にどれだけうれしかった事か!
M.O先輩と言えば先ほど書いた通りの天才先輩です!しかも強い!!
その先輩なみに鍛えてくれると言ってくれた・・・その気持ちが嬉しかった・・・本当に。
言った当人にしてみれば、ほんのささいな言葉であったとしても。

5ヶ月目 高校の剣道部の合宿場へ乗りこみに行ったぞ!!
行くまでにまたひと騒動あったんだこれが!(私にとって)
待合場所でみんなで待ってたら、Y.T君が来て・・・
・・・あれ?ホントにY.Tか・・・?
髪思いっきり切ってるよ!!!
今までY.T君はロン毛だったのです。でもそれがすっきりさわやかショートカットに!
以前にも増してかっこよく・・・・いかんいかん。理性失う3秒前だ。
先輩達にも言われまくってましたね。「お前どうしたんや!?」って。
そして行きの新快速の中(JRです)、みんなでUNOしてました。
私の真ん前にY.T君が座ってました・・・
かなりドギマギしながらも何とか戦略を練ってドロー4の集中攻撃は避けました。
その代わり・・・・Y.T君が・・・・持ち札23枚の悲劇にι
でもなにげにTOPで上がってましたし?ちなみに私は二番目です。
Y.T君と二人で、まだ終わってない人達のゲームを見て、笑ってました。
そのころは私もテンションがかなり高かったので別にドキドキしませんでした。
ドキドキしなかったけど・・・・嬉しかった。一緒に笑ってくれるのが。
そして高校の合宿場での練習!
H先輩M先輩!!お久しぶりです!会いたかったです!!
(中体連の時に応援に来てくださっていた)
結構強かった先輩がマネージャーになっていたのには驚きました。
・・・素振りが早い!!しかも左右に開いて面打ちっていうのを初めてやった。
(この素振りは一時的にこの後中学の素振りのメニューに加えられた)
先輩方・・・強くなってました!試合で勝てなかった!!
やっぱりさすが先輩です!
そしてこの日、H先輩のお母様がレモンのスライスを差し入れに・・・
「お母さん!そんなん練習中に食ったら吐くやん!やめてや!!」
「何言うてんの!ビタミンCやで!ほら皮は取ってあるから食べて〜♪」

それから・・・夏休みの終わりごろだったか。
今度は高校へ練習に行った。先輩!またお邪魔します!
ちなみにこの時・・・私の友達1人が一人だけ電車乗り遅れてた・・・ι
あ゛つ゛い゛。し゛ぬ゛。しかもまた練習がきついんだ。
一年生はここではじめて面をつける・・・
高校の練習はあまり詳しく覚えてないや・・・ハンパじゃなくて暑かった事と
それなのに水筒のお茶は5秒でなくなったことしか。

6ヶ月目 部長三役交代も終わり・・・そう。私達がクラブを引っ張る番になったのです。
気になる部長は・・・Y.T君!!副部長は・・・・なんと私!!!
ちなみに三役に入るのか微妙なところで・・・雑用係:S.Aさん!!!
三役じゃないけど勝手に・・・ミニキャプ・・・S.H君(もちろんミニキャプのキャプはキャプテンのこと)
多分このミニキャプの役職は消滅したと思われる。

ちなみにこの頃にはすでに、練習メニューはY.T君の考案によるものになっていた。
初めての回は考えるのに2時間かけたとか・・・お疲れ様です。
代を経るごとにきつくなってくる練習。私は一向に構わなかった。
それで、強くなれるのなら・・・・・

そんなある日、友人S.AさんとH.Mさんに
「話があるから大学の地下食堂に付き合って」と呼ばれた。
私達の中学は大学のキャンパス内にある。完全下校の時間の30分後まで利用可能だ。
で、そこで話されたのは・・・・・
「なぁ、yukariってY.T君のこと好きなんやろ?」
「はぁ?」
「だって見ててわかるで?なぁ。」
「何言ってんねん!」
「嘘つかんでもええねん。多分もう部員のほとんどの人知ってんで?噂やもんなぁ。」
「・・・・・!」
「なぁ、ホンマのところどうなん?イエスか、ノーか、はっきりしてや!」
「・・・・・・」
なぜ?なぜ言わなければいけないの?
「ほらぁ顔真っ赤になってんで!はよ言いや!!」
・・・・・・私は・・・・・・アイツのことが・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・小文字の・・・イエス・・・・・・
「きゃぁ〜〜〜〜〜〜〜VVVVVVVvvvvv」
なんだよ。言えって言ったのはそっちじゃないか・・・・・私は半分泣きたかった。
心の中を荒らされた感じで。

そしてこの日から・・・・・
私のクラブにおける「平和な生活」は断たれた・・・

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