大きな大きな花がある
蒼い吹雪を散らす花
世にも珍し青海棠
全てを包む蒼い色―――
「雲龍、雲龍!どこにいるのです!?」
「皇太子様!?お屋敷にお戻りくださいませ!
私どもがお叱りを受けます!」
離宮で雲龍の母親:逢氏と当時の皇太子の侍女が
声を張り上げていた。
雲龍が生まれてから月日が流れ、すでに10年が経った。
腕白盛りな雲龍はよく無断で外に出かけては、
逢氏や他の者達に多大な迷惑をかけていた。
「ここなら誰にも見つからないよ。」
「いやー助かりました!
最近は抜け出そうとしてもことごとく失敗してしまって。」
そして今、雲龍はまた多大な迷惑を大人達にかけていた。
こともあろうか、一国の皇太子の逃亡に手を貸していたのだった。
その日は、逢氏と共に後宮に参内していて、
皇太子に逢氏が楽を披露するはずの日だった。
だがしかし―――
数刻前。
「あれ・・・?母上?みんなどこ?」
珍しい風景に気をとられているうちに、雲龍は迷子になってしまっていた。
母の姿も皇太子の侍女の姿も見当たらない。
一人取り残された雲龍は、成す術がなく途方にくれていた。
「・・・・・・・・どうしよう・・・どこ行ったのかな、母上・・・
あっちかな・・・こっちかな・・・?」
「すみませーん!」
がさっ そばの茂みから突然人の声がした。
あまりに突然の出来事に、ただ目をぱちくりさせる雲龍。
「ちょっと人から逃げてるんで・・・どこか誰にも見つからない場所、教えてくれませんか?」
相手は、年のころ12、3歳の少年。
白い肌をした、気さくな少年だった。
茂みから人が突然声をかけて来たのには驚いたが、
あまりにその少年が明るく、自然に話しかけてくるので、
いつの間にか雲龍に警戒心は無くなった。
「いいよ。いい場所があるんだ。こっち!」
―――そして現在に至る。
「・・・でも、確かに見つからないけど・・・」
「少し臭いな・・・」
二人が隠れているのは、馬小屋。
二人とも、服は既に泥だらけだった。
「そう言えば、あなたは何て名前なの?」
「私ですか?私の名は舜。わけあって今は侍女さんから逃げる毎日ですよ。」
「どうして逃げているの?」
「・・・・一緒にいるとうるさくて。
そのくせ私が知りたいことにろくに答えてくれないんですよ。
・・・・・・だから、自分で知りたい答えは自分で探す。そう決めたんです。」
知り合って間もないのに、そう言った舜の姿はどこか頼もしくて。
――舜のこと、もっと知りたい。
雲龍は舜に近づいて、質問をしようとしたが・・・・
ずるっ バキバキバキッ
「「うわああああ!?」」
隠れていた足場が大きな音をたてて崩れてしまったのだ。
これだけ大きな音が出れば付近にいた人間が気付かないはずもなく・・・
「そこにいるのは誰だっ!?」
「羌族の者か!!捕らえろ!逃がすな!!」
辺りからわらわらと警備の兵が集まってくる。
「舜!どうしよう・・・」
「君だけ逃げてください!
大丈夫、私は見つかってもどうにかなる!―――さあ早く!」
「舜・・・!」
気の進まない雲龍を無理やり小屋の裏口から外へ出し、
わざと目立つように兵士達の前へ出た。
「お騒がせしてごめんなさい!
散歩をしていたらここに首飾りを落としてしまって!」
「なんと・・・舜様でしたか・・・」
・・・・名を聞くことの出来なかった、優しい瞳をした人。
ずっと会いたかったような、懐かしい感じのした
不思議な少年・・・
・・・・・・・・・・・・また、会えるだろうか。
・・・・・・・・また会いたい・・・・・
*
「・・・!雲龍!?あぁ雲龍どこにいたのです!!」
よほど心配していたらしく、母の逢氏は一人歩いてきた雲龍を抱きしめる。
「心配したのですよ・・・本当に」
「ごめんなさい母上。でも、ボクは楽しかったよ!」
「何がです?」
母は雲龍の双肩に手を置き、顔と顔を向き合わせた。
「あのね、ボク、友達が出来たよ!」
「この後宮で、ですか?」
「ウン!」
「そう・・・それはよかったですね・・・」
母はこの上ない微笑で返してくれた。
「逢氏殿、申し訳ございません。只今皇太子様が参られます。」
母は幼い雲龍を伴って脇へよけてひざまずいた。
「あ・・・・!」
雲龍は絶句した。
ふと顔を上げて皇太子の顔を見ると、それは他の誰でもない舜だった。
声をかけるのも忘れて、先ほどのやんちゃな彼からは想像も出来ない、
まさに「皇太子」としての彼がそこにいた。舜と一緒に彼の母親、皇后も来ていた。
「(舜・・・・なんだかすごく・・・・きれい・・・・)」
幼心にただ、それだけを感じた。
その後逢氏によって奏でられた楽は、その場にいた全てのものにを満たすようだった。
皇族も侍女も、天も地も関係なく、流れる水のように、そよぐ風のように
柔らかに満たしていく、そんな音色だった。
演奏が終わると、皇后はうんうんと感銘深くうなずき、逢氏に言った。
「逢氏よ、そなたの楽、実に見事でありました。
これからもその楽で、私達を楽しませてくださいね。」
「恐れ多い言葉・・・」
「ところで、そなたの倅も楽をたしなんでらっしゃるのですか?」
傍に控えていた雲龍に皇后が話題を移す。
当の本人はきょとんとした瞳で皇后を見つめている。
「は、はぁ・・・・人に聴かせられる様な代物ではございませんが・・・・」
「ほぅ・・・それは楽しみですね。では、少しだけ聴かせて下さいよ。」
少しだけ邪に笑う皇后。その瞬間雲龍はなぜか非常に怖くなった。
邪といってもそこまで邪悪な笑みだったわけではない。
ただ、なぜか怖かった・・・・
「で、では・・・・・雲龍、皇后様のご命令です。さあ」
雲龍はすっかり震えてしまっている。心から恐怖が離れない。
彼はもちろん皇后に会うのは今日が初めてだ。・・・記憶に残る範囲では。
「(どうして・・・この人が、怖い・・・とても怖い・・・!)」
「雲龍?」
相変わらず怖気づいていると、皇太子―舜が静かに近づいてきて、
恐れる雲龍の耳元に優しく告げた。
『大丈夫ですよ。私もいますから。』
その一言で本当に落ち着ける。・・・ボクは、一人じゃない・・・
雲龍は平静さを取り戻し、所持する愛用の琴:三唱琴を取り出した。
演奏の間、舜はずっと傍にいてくれた。
母親には流石にまだまだ及ばないものの、これからの成長を期待できる腕前だった。
ただ、その間中皇后の顔が引きつっていたことに気付いていた者は
誰もいなかった・・・
季節は夏へ向かう頃
海棠の花は散りぬれば
灼熱の陽が世を照らす
暖かき日々に終わりを告ぐ
続
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