「公明、公明!」
「何だよ親父。」
今から、何十年前の事だろう。
まだ自分が、「あの一族」の中にいたころ。
まだ一番下の妹が生まれる前、まだ、自分のまわりには何もなかった。
族長の長男として、まだ他の皆に崇拝されていたころ。
夕方、突然父親に呼び出されて、集落近くの海岸まで来たのだ。
父親の邑は息子の横に立つと、遠くの島を指差して言った。
「あれが、何かわかるか?」
「知るかよ。特に気にもならねえし。」
息子の答え方に父親はにこにこと笑って返す。
「またそういうことを言う。なら、質問をしよう。
ここから泳いで、あそこにつけると思うか?」
島は遠くに見えるが、島そのものは結構大きい。
遠くに見えるのは霞がかかっているせいで、本当は近いのかもしれない。
「つけるんじゃねえの?」
「・・・・つける者と、つけない者がいる。」
「・・・・溺れる奴と、そうじゃない奴がいるってことか?」
「ハッハッハッハ。まぁ、確かにそれもあるが、そうじゃない。
・・・・いいか。よく聞け、公明。
あれは九竜島と言ってな。仙道が日々修行している場所なのだ。
あの島に1番近いのは、この村だ。」
いつになく真剣な口調の父親だが、特にそれを気に留めるでもなく
そっけなく返事を返す。
「何が言いてえんだ親父。まさか俺にあそこに行けってのか?」
「今ではないさ。だが、いずれ行かざるを得なくなる。
その時になったら、ここを思い出してくれればいい。」
父親は何かを悟っているようだったが、それを知る術は公明にはなかった。
「一体何が言いてえんだよ!」
「いずれわかる。・・・お前には、辛い思いをさせてしまうがな。」
聞けば聞くほど、父親はわけのわからない答えばかりを返してくる、
これ以上はもう無駄と言うものだろう。
「へっ わけわかんねえぜ!」
用がなくなったと思い、家へ帰ろうとする公明の服を邑が引っ張る。
「まだ帰らせはせんぞ?釘頭呪は使えるようになったのか?」
「う、うるせえ!何なら、今これであんたを呪ってやってもいいんだぞ!!」
使えるフリをして、わら人形を構えてみる。
「ほぉ、やれるのか。やってみせてくれ。」
「う・・・・・」
「できないのなら、できないと言えばいいではないか。
ほら、始めるぞ。」
「けっ」
・・・・いつもこの親父の態度が気に入らねえ
いっつもニコニコへらへら笑ってやがるクセに、心でとんでもねえ鬼を飼ってやがる。
見た目はしょうもなさそうなのに、いざ特訓を始めたら人が変わりやがるんだアイツは。
「おいおい。ダメじゃないか、こんな編み方じゃ。
人形を編む所からやり直しだな。」
言っている側から早速「鬼」の指摘の嵐が始まる。
「うるせえ!とりあえず人の形してりゃいいんだよこんなもん!」
「そんなことだから、いつまで経っても釘頭呪が決まらんのだろうが。
ちゃんとひと編みひと編み、心を込めて編んでくれよ。」
「昨日は「念」を込めながら編めって言わなかったか?」
「さぁて・・・言ったかな。」
・・・・・・
怒るのかボケるのか、どっちかにしてくれや、親父。
相手してる方は大変なんだぞ。
空に1番星が輝き出したころ、ようやく家に帰りついた。
もともとこの集落は呪いを得意とする巫族によって構成されている。
公明達の家族は、その一族の中でも族長の家族であった。
族長は邑である。
「蘭霄、今帰った。」
「あなた、お帰りなさ・・・うっ」
病床の母が咳き込む。
「「お母様!!」」
二人の妹、雲霄・碧霄が母に駆け寄る。
母親の蘭霄は、三年ほど前からずっと病の床に伏せっており、
その病状は、徐々に悪化しつつあった。
位が高い事もあり、一応一族の医者がほぼ1日つききりでいてくれるが、
それでも、持って今年限りだと言う。母にはまだ伝えていない。
「起きあがるな。そのままでいい。」
「・・・・・また公明と釘頭呪を?」
再び床に潜りながら心配げにこちらを見上げる。
「気にしなくていい。こいつはこいつなりに頑張っているから。」
笑顔で公明の頭をこずく。・・・・・・ったく、この2重人格。どうにかなんねえのかよ。
「それより、どうだ。腹の子の調子は。」
これだけ病弱であるにもかかわらず、この母はまだ腹に一子を宿しているのだ。
子の命どころか、自らの命も危ういというこの時に。
「ええ。随分と、元気な子ですよ。」
笑っている母の顔は、病人のそれとは思えないほどの魅力があった。
これで、本当に病人でなかったなら、どれだけ心が救われただろう。
「無理はするなよ。母親のお前が死んでしまっては、元も子もないからな。」
「まぁ!」
二人で笑いあう。
・・・・・親父、自分が言ってること、わかってんのかよ。
昨日、医者が言ってただろうが。もって今年限りだって。
しかも腹の子だって、生きて出てこれるかわからねえんだぞ?
・・・・・それを笑ってられるのかよ、親父!!
父親が笑えば笑うほど、公明の中の怒りは膨らんでいった。
しかし、その父親の手が震えつづけているのを、雲霄は見つけた。
皆が寝静まったころ、公明は見張りの目を盗んで屋根に上っていた。
夜風にあたって夕方の怒りを鎮めようとしているのだが、一向に鎮まらない。
しばらくすると、下の方から誰かが登ってくる音がした。六つ下の雲霄だ。
どうやってここにいるのを察したのかは知らないが、兄の姿を見つけて登ってくる。
「お兄様、お兄様。」
「何だ雲霄。」
普通、雲霄と同じぐらいの年の少女ならば、今の公明に近寄るなど不可能だろう。
不機嫌をあらわにしたこの少年に。
だが雲霄は物心ついた時には既にいつもそんな環境だったのでもう慣れている。
「何で怒ってらっしゃるの?」
年齢にあわず身内に敬語を使っているのは、生まれた時からの身分の高さを表わしている。
公明が敬語を使わないのは、特に誰も強制しなかったのだ。
自由を愛する父親の影響を少なからず受けている、この少年に。
「お前には関係ねえ!!あっち行ってろ!!」
公明に怒鳴られた雲霄はわずかにおじけづいたが、すぐに姿勢を直して兄に向き直る。
「あのね、今日お父様とお母様が話してたとき、お父様震えてらしたわ。
私、見ましたもの。」
「見間違いだろそんなもん!あのクソ親父は、おふくろのことなんざ何も考えちゃいねえんだ!!
考えてたら、あんなこと言えるはずがねえ!!」
「お母様、危ないのですか?」
「危ねえも何も、おふくろの命は・・・・もって今年いっぱいなんだよ・・・・」
相手が雲霄であることも忘れ、思わずこぼしてしまう。
「にも関わらず、冗談じゃ終わらねえかも知れねえ事を、よくもまぁあんなにも・・・・」
「お母様、死んでしまわれるのですか・・・?」
雲霄の声で我に返る。
振り向くと、雲霄は今にも泣き出しそうな顔でこちらを見ていた。
「お母様、助からないのですか・・・・お母様・・・・死んで・・・」
嗚咽で最後の方は言葉にならなかった。
「あ・・・な、泣くな雲霄!泣くんじゃねえ!!」
公明の妹達の中で1番年上の雲霄は、結構面倒見のいい娘だったのでめったに泣かない。
だから公明も信頼していただけに、その妹に泣かれるとどう収拾をつけていいものか迷ってしまう。
しかも、当の雲霄も、思いきり泣きじゃくるわけではなく、必死で泣くのをやめようとして
いつまでも嗚咽を繰り返しているのだ。
「お・・・母様・・・死んでほしくない・・・です・・・・ずっと、ずっと・・・・いてほしいです・・・・」
公明なりに何とか妹を安心させようと、雲霄の背中を叩く。
「あぁそりゃそうだ。俺だってまさか死んでほしいなんざ思っちゃいねえよ!」
雲霄は泣き止む気配を見せない。
「っあーだーもー!泣くなったら泣くんじゃねえ!!それでも俺の妹か!!」
雲霄が驚きのあまり嗚咽をやめた。
「いいか、雲霄!まだはっきり今年中に死ぬって決まったわけじゃねえんだ!!
俺らが死ぬって思ってたら、本当に死んじまうぞ!?
いいな、信じろ。おふくろはこれから先何十年も何百年もずっと生きてるってな!!
そうすりゃきっとおふくろだって元気になるに決まってらぁ!!」
一安心して再び嗚咽が始まったが、今度は顔は微笑んでいた。
「そ・・・う・・・・ですよね。そうですよ・・・ね。私達・・・が・・・・信じなきゃ・・・」
「だから泣くなっつってんだろうが雲霄〜・・・」
屋根の上での二人のやり取りを、相変わらず笑いながら邑が見ていた。
「・・・これなら、大丈夫だな。」
数日後、邑の集落に都からの兵が来た。
兵役につかせるための人手が足りないのだという。
村の若い者達が次々と連れられて行った。
この頃の戦には、相手を惑わす巫術を使えるものが戦闘の先頭に立つのだ。
故に、術の使えるかなりの者達が連れて行かれた。
「あと一人!誰かおらんのか!!」
「私が行こう。」
今まで隣りで族人が連行されるのを黙って見ていた邑が前へ進み出た。
「あなた!!」
「「お父様!!」」
「邑様!!」
「私で終わりにすればいい。私が行くから、もうこれ以上一族の者を連れて行かないでくれ。」
普段はめったに見せない、族長らしい堂々とした態度で言い放った。
「族長か・・・・・いいだろう。おい、こいつを連れて行け!」
邑に縄をかけようと二人ほどの兵が邑に歩み寄る。
縄をかけられる前に、邑が公明に語りかけた。
今までした事のない、優しい目で。
「公明、これをお前にやろう。」
「んだよ・・・・ってこれ、親父のわら人形じゃねえか!」
「私は、先の事を予知する力を持っている。
私は、もうここに戻ってくることはない。戦で死ぬのであろうよ。
だが、お前達が悲しむことはない。」
親父が・・・・・死ぬ?
嘘だろ。どうせいつもの、軽い冗談だろ・・・
「ハッ どうせ誰もあんたが死んだって悲しみやしねえよ。」
「ハハハ それで安心した。
私が死んだからと言って、お前に後を継げとは言わない。どうせ、嫌がるんだろうからな。
・・・・・・・「三人」の娘達を、よろしくな。」
・・・・・なんだよ。何で笑ってんだよ。何であんたはいっつも笑ってられるんだよ。
そうこうしているうちに、邑は兵に後ろ手にくくられ、連行されようとしていた。
「達者でな!蘭霄!公明!雲霄!碧霄!みんな!」
高らかに声をあげ、集落を出た。
そして、最後に、静かにつぶやいた。
「・・・・・そして・・・・・この目でもはや見る事のできない娘・・・瓊霄・・・」
―――どうか、幸せに―――
それが、公明の見た、最後の父の姿だった。
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