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「鎌倉の源氏がいよいよこの奥州へ攻め入るらしい」
「鎌倉が?」
主らしき男に呼び出された従者らしき男が、
いつになく落ち着きの無い主の発言内容に疑問を覚える。
「鎌倉がどうしようと、気になさる必要はございますまい。
兵力、財力。共に我ら奥州藤原の方が遙かに勝っておりましょう。
・・・・何より、御館のご遺言もございます。」
「いや、しかし、しかしだ・・・・・」
こちらの方が確かに優勢であるという事実を述べたのに、
まだ主らしき男は落ち着きを取り戻さない。
「聞く話によれば、衣川に陣を張った源氏軍は十万を下らぬという・・・
しかも、鎌倉だけではない、各地の兵が鎌倉方に合流して
その数はますます膨れ上がっておるとも・・・・」
「その話は確かなのでございますか?」
「もう皆その話で持ちきりだ、大元を確かめる術など無いっ」
主の焦りは頂点に達し、持っていた扇を床に叩きつけると
どすどすと縁側へ歩いていった。
「そして先ほどその源氏から使者が参った・・・・」
「して、何と・・・・?」
「―――源九郎義経を差し出せ、
さすれば奥州の地を永久に侵さぬと誓おう。
刃向かえば――」
「・・・・刃向かえば・・・・・?」
「源氏の全兵力を以って、奥州を滅ぼす、と―――」
*
その日、いつもなら朝一番に顔を見せる銀が、いつまで待っても
高館の邸に来ることはなかった。
いつもの様に縁側で彼を待っていた望美は、不服そうに独りごちた。
「銀さん・・・・今日はどうしたんだろう・・・・・」
風邪でも引いたのかな?奥州はただでさえ寒いのに
今は冬だし・・・・・
あ、でも私達よりも長く奥州にいたんだから
寒さには慣れてるはずだよね?
じゃあ・・・・・怪我?
「・・・・・・どこで怪我するってのよ・・・・・私じゃあるまいし・・・」
自分で自分にツッコミを入れながらも、
銀の不在を心配に思うのは事実である。
「昨日まで・・・・何も無かったよね?」
思い起こしてみても、彼が今日邸に来れなくなる様な
理由になり得る程のものは無い。
だから余計に心配になる。
「・・・・・何か、あったのかな・・・・」
独りの心細さと、募る一方の不安が、肌に感じる寒さを際立たせる。
その寒さにぶるっと身を震わせると、両腕で自分の肩をぎゅっと抱きしめた。
あの日の、彼の腕を思い出そうとするかのように。
「・・・・銀さん・・・・・っ」
この奥州に来てから、傍にいるのが当たり前だった彼。
初めは、その当たり前の現実がひどく嫌だった。
愛してしまった人と同じ顔、同じ声で、でも違う人。
そんな人といつも一緒にいなければいけない事が、
どれほど苦痛だったか。
でも今は・・・・・全く逆。
あの満月の夜に知ってしまった。
彼には、あの人に繋がる愛しい部分が確かにある。
まだ彼とあの人が同一人物であるとはわからないけれど、
でも不思議と・・・別人ではないという確信が持てる。
あの時聞いた声は、普段の彼の「よく似た声」じゃなくて、
間違いなくあの人の声そのものだったし、
またその時に感じた温もりも彼のものだった。
あの温もりを忘れたくない。
いつも傍で感じていたい。
あの声が聞きたい。
その声で私の名前を呼んで欲しい。
あの銀色の髪に、触れたい――
*
結局その日は銀抜きでの怨霊退治となった。
別に彼の力に依存していたわけではなかったし、残りの八葉達の力で
事は十二分に足りた。
・・・・・ただ、なぜか望美の集中力不足が著しく、
あまりの集中力の無さについに九郎が痺れを切らした。
「望美!! いい加減にしろ!
集中できないなら今日はここまでにしておけ!!」
「だ、大丈夫ですってば九郎さん!
今度はちゃんと封印しますから・・・・」
「さっきの戦いもそうだったじゃないか!
封印に集中できなくて怨霊を封印できず、
挙句の果てに返り討ちまで受けそうになったばかりじゃないか!」
望美がこの調子なのであれば、この次はどうなるかわからない、と
怒号を飛ばす。
相変わらず食い下がろうとする望美だったが、
他の面々にまで今日は引き上げるよう言われてしまったので、
その日はしぶしぶほとんど怨霊を封印せずに高館へ引き上げることとなった。
―――駄目だなあ・・・皆に心配かけて・・・・
ため息と共に肩を落とす望美。
別に体調が悪いわけではない。怪我もしていないし、
集中力が散漫になってしまう原因はどこにもない。
いつものように集中できない―――いつもと違う要因は、ただ一つ。
―――銀、さん・・・・
彼がいないだけで、こんなにも落ち着かない。
いつも自分を守ってくれていた背中が無い。
愛しい人と全く同じ太刀筋が見えない。
―――あの人を、どう思ってるんだろう、私・・・・
彼のことが好きなのか、と聞かれると、答えることはできない。
彼とよく似ている知盛の事は・・・・気がついた時にはもう、
愛してしまっていた。
けれど、銀は・・・・・・・彼は、知盛なのか、それとも別人なのか。
ひょっとすると、知盛かもしれない・・・・けれど、確かな証拠は無い。
ただ確かなのは、あの時名前を呼んだ声は確かに知盛の声であったことだけ。
―――やっぱり銀さんは・・・・知盛なのかな・・・・・
だとしたらなぜ他人の振りを?
壇ノ浦へ身を投げたはずの彼がなぜ奥州へ??
疑問は尽きるところを知らず、後から後から浮かんでくる。
「望美!何をしている置いていくぞ!!」
「あ、はいごめんなさい!」
いつの間に立ち止まっていたのか、
先を行く九郎に声をかけられて前へ進もうとした時だった。
「―――神子様。」
誰かに呼ばれた気がして、声の方向へ振り返る。
しかしぱっと見回してみても誰の影も見えない。
その場で戸惑っていると、また声がした。
「どうか、そのままでお聞きください。」
「銀さん・・・・!!」
今一番聞きたかった声なのに、姿が見えないことにもどかしさを覚える。
そのせいで気がつかなかった。
彼の語調がやや重みを帯びていたことに。
「神子様、どうか高館の邸にはお戻りにならぬよう・・・・」
「どう、して・・・・?」
見えない相手に言われた穏やかでない発言に動揺を隠せない。
「他の方々もじきにお気付きになられるでしょうが・・・・
邸の方角をご覧ください。」
言われるままに邸の方角を見ると、邸がある辺りよりは遠いが、
白い旗がちらちら見える。
「あれって・・・・まさか!!」
「源氏・・・・鎌倉の旗にございます。・・・・もう、そこまで来ているのです。」
旗の数は決して少なくない。あれだけの軍勢に攻め入られては
流石の奥州藤原氏でも苦戦を強いられることは間違いないだろう。
「どうしよう、急いでみんなに伝えなきゃ!!」
「神子様・・・・・・『最後に』、もう一つ・・・・」
走り出そうとした望美を引きとめる銀。
その『最後に』という言葉に込められた数々の意味を、望美はまだ知らない。
「―――何が起こっても・・・・躊躇わずお進みください。」
見えない彼に向かってこくりと頷くと、今度こそ望美は走っていった。
*
「皆!!待って、高館に戻っちゃだめーーーー!!!!」
息も切れ切れに皆のもとへ走りこんできた望美は、声の限り叫んだ。
「の、望美!? どうしたんだ一体!!」
膝に手をついて肩で息をする望美に九郎が声をかける。
しかし望美は構うことなく、先ほど源氏の白旗が見えた辺りを指差す。
「あそこ、見て・・・・・!」
「・・・・あれは・・・・・・っ あそこは、衣川の辺りか!?」
九郎にしてみれば、どれだけ衝撃的な光景だったろう。
確かに今までも身内である源氏に追われる身ではあったが、
かつて自分が率いていたはずの白旗が・・・
今、確かに自分達を追い詰めている。
自分の中で気持ちに整理はつけていたはずだがそれでも・・・・胸が痛む。
「・・・・・兄上・・・・・っ」
「九郎。感慨に浸るのは結構ですが後にしてもらえますか。」
そんな九郎の心中を察してか、敢えて突き放すような態度で接する弁慶。
「望美さんの言うとおり、このまま高館に帰るのはまずいでしょう。
―――僕に策があります。」
「何ですか?」
望美は真剣な面持ちで弁慶に問う。
「邸に火をかけるのです。
多少危険を伴いますが、少しは時間が稼げるでしょう。
・・・・その隙に、さらに北を目指すことになります。」
確かにそれなら少しは相手をかく乱できるだろう。
だが問題が一つあった。
「・・・・誰が邸に火をかけに戻るんですか?」
最低でも一人、いや火の回りの速さを考えたらもう少し人数がいるだろう。
「・・・・・俺が行こう。」
静かにそう言ったのは九郎だった。
しかしそれは弁慶によって真っ先に否定される。
「君は絶対に戻ってはいけません。
万が一の事になったら、簡単に自分の首を差し出しかねませんから。」
「そんなことは・・・!」
「いいから戻らないでください。君の代わりに僕が行きますから。」
九郎に強く念を押すと、彼もそれ以上食い下がるのをやめた。
「・・・・私も戻っていいですか弁慶さん。」
気がつけばそんな事を言い出している自分がいた。
「望美さん!?」
高館には、何かがある・・・・・何となく、そんな予感がする。
目前に迫っている危険もそうだけど・・・・それ以外の何かが、待っている。
「いけません、君を危険にさらすわけには・・・」
「戻っても、逃げても、どっちでも危険なのは
大して変わらないんじゃないですか?」
「それはそうですが・・・・」
「それに、高館には何かがある気がするんです・・・・
何かは、わからないんですけど。」
最後に再度、お願いしますと頼み込む。
しかし弁慶はどうしても同行を認めてくれず、
彼は他にヒノエや景時に同行を頼むと、
望美をその他の面々に預けて
自分達は時間が惜しいからとさっさと行ってしまった。
*
―――ごめんなさい、銀さん・・・・
弁慶らと別れてから、だいぶ時間が経つ。
望美を含む残りの一行は、さらに北を目指して、
途中のある地点で後から来る弁慶たちと合流するため
休憩中・・・・・のはずだった。
―――・・・・あなたの忠告、無視しちゃった・・・・
きっとこちらの身の安全を思っての忠告であったのだろうに。
事もあろうか、望美はこっそり一行を抜け出して高館に引き返していた。
今から間に合うかわからないが、どうしても確かめてみたかったのだ。
高館で待っているであろう、何かを。
「そんなに歩いた感じはしないんだけど・・・・お願い、間に合って・・・・!」
いくら気になると言っても、高館が源氏の手に落ちてからでは遅い。
できれば弁慶たちがまだ火をかける前、
いやそれは無理でもせめて源氏が高館に来る前には着きたい。
―――あなたにだって、言われたんだもの・・・っ
先ほど、姿の見えないままで銀の言った言葉。
「―――何が起こっても・・・・躊躇わずお進みください。」
―――だから私は、迷わずにこの道を進んでいけるの。
この先に何が待っていても、構わない。・・・・怖くない。
彼はきっと私がこの行動を取るであろう事を
予測してたのかもしれないね・・・・
思わず笑みがこぼれる。
私の行動なんてばればれなのかもね、と。
―――それだけ、ずっと傍にいてくれたのだ、と・・・・・
―――待って? 彼はどうなるの?
彼は奥州藤原氏の郎党。彼の主人の命令で、私達に従っていた。
・・・でも、その私達は今源氏に奥州を追われることになって。
・・・・・その私達に従っていた彼は、どうなるの・・・・・?
・・・・・彼自身に罪はない、けど・・・・・もし、万が一―――!
いやな予感が脳裏をよぎって、足の運びが自然と速くなり、
やがて全速力で走り出した。
―――お願い!!!どうか、どうか間に合って―――!!!
後半へ続く。
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