とりあえず「史記 刺客列伝」に出てくる人 |
荊軻けい・か |
出身:衛 所属:燕 |
史記より:
この話の主人公。先祖は斉の人であったが衛に移住し、
衛の君主に仕官を願い出たが断られた為、
以降諸国を遊説しながら各地の賢人・権力者などと関係を持った。
(ある時は趙の邯鄲において魯勾践とすごろくのルールでもめて、
またある時は同じく楡次で蓋聶と剣術についてもめた。
結局どっちも怒鳴られたり睨み付けられたりするとさっさと退散した)
燕に於いては田光に気にいられ食客となる。
読書と剣術を好み、酒もよく好んだ。
よく高漸離の筑にあわせて歌い、感動のあまり
周りに人がいるのも気にせずに泣き出したこともあった。
(「傍若無人」の語源)
ある日、田光から燕王太子・丹からの依頼として秦王の暗殺を
頼まれることになる。
彼はそれを引き受け、秦から亡命していた樊於期将軍の首を
秦王に捧げることで彼に近づくチャンスを得ようとした。
将軍に「必ずあなたを追いつめた秦王を殺す」と誓い、
彼の首と燕の督亢の地図とを手に、(地図には匕首が隠されている)
丹が付けた副使:秦舞陽と供に秦へ赴く。
(このときに高漸離の筑にあわせて易水送別の歌を歌う)
秦に着いた一行は、秦王の寵臣に賄賂を贈ることで謁見に成功し、
あと一歩のところまで彼を追い詰めたが、逆に秦王に誅殺された。
その他の文献など:
基本的にどの文献においても似たような記述ではある。
ただし平家物語の一節「咸陽宮」での彼は
その故事を持ち出した場面故か若干バカっぽい(笑)
元は「慶軻」であったものが燕で訛って「荊軻」になったらしい。
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出身:燕? 所属:燕・・・だよなぁ?
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高漸離こう・ぜんり |
史記より:
燕で荊軻が出会った筑の名手。荊軻が秦へ発つ時にも、
その腕前を振るった。
親友の荊軻の死を知り、名を変え姿を変え、
趙の宋子県で下男として暮らしていたが、
他所の筑師の演奏に対して批評してしまったため、
筑師であることがばれる。
やがてその筑の音色が評判になり、
ついに秦王の城に呼び出された。
ところが秦王の家臣に彼を荊軻の親友だと知る者が
いたものの、彼の演奏をいたく気に入った秦王は
「目を潰せば問題はない」として彼の目を潰し、
傍で筑を奏でさせていた。
ある日、秦王の隙を狙って彼は筑にあらかじめ隠していた鉛で
秦王を撃ち殺そうとしたが盲目の悲しさ、秦王には当たらず、
結局彼も処刑された。
その他の文献など:
「戦国策」では「荊軻の客(=食客)」と記述されてます。
また彼を「狗屠(犬の屠殺業者)でもある楽師」とする
解釈もある。
(どっちが本業だ・・・)(楽師・・・・なんじゃないかなあ・・・・)
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秦舞陽しん・ぶよう |
出身:? 所属:燕・・・になるんだろうなぁ。 |
史記より:
荊軻が秦に行く時、丹が副使としてつけた刺客。
13歳で人を殺した腕前で、誰も敢えて目を合わせようとは
しなかった。
実は祖父が秦開という燕の将軍で、
匈奴討伐に対して功があった。
しかし本物の秦王を前に怖気づき震えだす。
これがきっかけで一度は秦王の家臣たちに
怪しまれることになるのだが、そこはうまく荊軻がつくろった。
その他の文献など:
「秦武陽」と記述する文献もある。
「咸陽宮」に因れば、丹が彼を副使に選んだのは
その腕だけでなく、「彼が13歳で人を殺すまでは秦にいた」
という事から、秦には詳しいであろうという考えに基づくもので
あるらしい。ちなみに彼は人を殺した後に燕へ移住した
との記述も。
(・・・燕ってば亡命者の溜まり場じゃないっすか・・・・)
しかしそうするとじっちゃんの存在はどうなるんだか・・・・?
またこの話に因れば彼の性格は
「彼が怒った顔を向けると大男でも恐れて気絶し、
また笑顔を向けると乳飲み子もなついて
その手に抱かれたと言う」というものであったらしい。
・・・・この食い違いは何!?
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出身:? 所属:燕だと思われ。 |
宋意そう・い |
史記より:
燕の市場で荊軻が出会った狗屠。
荊軻が高漸離などと街で遊ぶ時は大抵彼も同伴していたらしい。
その他の文献など:
実は丹のお抱えの「勇士」の一人とする記述がどこかの文献にあった
気がしますが定かじゃありません(じゃあ書くな)
(ただ田光曰く『感情が顔に出やすいので使い物にならない』らしい)
また、狗屠の名前を「宋意」とする記述は歴史文献には見えず、
「燕丹子」などの小説にのみ見える。
似たような人物に夏扶(か・ふ)という人物もいる。
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樊於期はん・おき |
出身:秦か? 所属:秦→燕 |
史記より:
秦王の怒りを買い一族全員を殺された為、
燕に亡命してきた元将軍。
そのため、秦王に少なからず復讐心を燃やす。
その首に多額の懸賞金と土地を懸けられている。
丹に手厚く迎えられるも、鞠武には「秦王を怒らせるだけだ」
と窘められる。
後に、荊軻達が秦王に会う手段に困っているとき、
荊軻が「あなたの首を差し出せばきっと秦王は会ってくれる」
と言うと、
「これこそが私が日夜歯噛みして考えていたことだ。」と言って、
自ら首をかき切った。
その他の文献など:
彼が何の罪で一族を誅殺されたのかは
明らかにされていないが、秦王による秦軍の少数精鋭化に
反対したため、との説もある。
しかし勇気がある人というか、悲運すぎる人だよな・・・
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出身:? 所属:燕 |
田光でん・こう |
史記より:
燕の老処士(在野の知識人)。
燕に流れ着いた荊軻を食客として迎え入れる。
鞠武の紹介で太子丹の相談に乗るよう引き合わされるが、
自分は老いて役に立たないからと荊軻を推薦する。
その帰り際に、太子丹に事の口止めをされた為、
「人に疑いを持たれるようでは士ではない」として、
荊軻に事を伝えると自噴してその秘密を守った。
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鞠武きく・ぶ |
出身:? 所属:燕 |
史記より:
太子丹の太傅(教育係)。
秦から丹が逃げ帰り、更に彼が樊於期を匿おうとしたので
秦に攻める口実を与える事を危惧し、
樊於期を匈奴へ送ってしまうことで戦の口実を無くし、
更に匈奴や周辺国との連合をするよう説くが受け入れられず、
「危険を冒しながら安全を求め、災いの種をまきながら
幸福を願う」丹の意に適う意見をもはや自分は持ち合わせて
いないとして、田光を紹介した。
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出身:趙 所属:趙・・・? |
徐夫人じょ・ふじん |
史記より:
暗殺に使われた匕首を作った刀匠。
この匕首に毒を塗り、掠っただけでも死に至るという
必殺の匕首を作り上げた。
その他の文献など:
その名前から男性説と女性説があるが、
当サイトではとりあえず男性説を用いたい。
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夏無且か・むしょ |
出身:? 所属:秦 |
史記より:
秦王の侍医。
荊軻が秦王を襲った時に、
彼に薬嚢を投げつけ秦王を助けたとして、
秦王に厚く褒美を与えられた。
漢代まで生き延び、荊軻達の一連の事件を
公孫季功、董生の二人に語ったとされる。
この二人から司馬遷の父司馬談に話が伝わり、
それを元に「史記」刺客列伝の荊軻条が記されたとされている。
その他の文献など:
ちなみに董生は後の董仲舒と同一人物とする説もあるが
非常に疑わしい・・・・
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出身:燕 所属:燕(王太子) |
姫丹き・たん |
史記より:
幼少の頃、贏政と人質時代を趙で共に過ごす。
しかしその後、今度は自分が秦へ人質になり、
昔のよしみで良くしてくれるのかと思いきや
秦王となった贏政からの扱いがあまり良くなかったらしく、
挙句に秦から脱走し、秦王の暗殺を企てるが失敗。
その最期は、彼の父:燕王喜に秦王の怒りを鎮める為に
首を斬られるというものだった。
その他の文献など:
でも燕は滅んじゃうんだよね^^;
小説「燕丹子」では彼が秦から脱走する際に
政が「烏の頭が白くなったら」とか「馬に角が生えたら」
とかいろいろ無理難題押し付けられたけど
天が憐れんでそれらを全て叶えたそうです。すげえ。
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贏政えい・せい
(贏の「貝」は本当は「女」) |
出身:趙 所属:秦(王太子→王) |
史記より:
後の始皇帝。
幼少の頃、燕王太子:丹と人質同士仲が良かった。
時の秦の公子であった子楚の子とされるが、
商人:呂不韋と趙の娼妓(後の母太后)との間に
生まれたとの噂も。
子楚が秦王太子となった時に帰国し、
その後度重なった秦王の死で弱冠13歳にして即位する。
最終的に中国統一を成し遂げる。
その他の文献など:
「冷酷無慈悲な暴君」のイメージで描写されている
小説などが多いですが、実際は歴史資料を読めば
読むほどかわいそうになってくる孤独な王様。
騙されて裏切られて逃げられての連続の人生です。
そりゃあ焚書坑儒とかはやり過ぎかもしれないけど・・・・
誰か彼を本当の意味で癒してあげてーー!!
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「史記 刺客列伝」に名前は出てこないけどその存在無しには語れないよなあな人々 |
出身:趙? 所属:趙→秦(娼妓→太后) |
母太后ぼたいごう |
史記より:
「秦始皇本紀」に登場。贏政の実母。
元は趙の娼妓で当時商人であった呂不韋の愛妾。
ある時宴の席で彼女を一目見て気に入った贏子楚
(当時秦の人質 であった贏政の父)が彼女を欲したので、
呂不韋はやむなく彼女を献上した。
後に贏政が生まれるわけであるが、その誕生時期から
「実は彼女は既に呂不韋の子を身ごもっていたのではないか」
という噂が後を絶たなかった。
また太后となった後、呂不韋の家臣であったものを
宦官と偽って己の傍に仕えさせていたロウアイと
密かに二人の子を儲けており、彼と共謀して行く行くはその子を
王として立てようとしたが、贏政にロウアイとの密通や
子供の存在が知れたためにロウアイは叛乱を決行した。
しかしこれも事前に贏政に知れてしまった為に
結局ロウアイは車裂きの刑、母太后も雍の地へ幽閉された。
後に後宮へと戻されるが、贏政の六国遠征中に没する。
その他の文献など:
彼女の本名についてこれといったものは伝わっていないが、
元が趙の娼妓ということで「趙姫」とする記述が多く見られる。
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花陽夫人かようふじん |
出身:? 所属:秦 |
その他の文献など:
※「史記」秦始皇本紀に登場する贏政の祖母
「華陽夫人」とは別人。
平家物語の一節「咸陽宮」にのみ登場する女性の楽師。
荊軻らに追い詰められた贏政が
「せめて最後に彼女の曲を聴きたい」と 所望すると、
彼女は琴を奏でる一方で
その歌詞に荊軻から逃れる方法を 秘めた歌を歌うことで
彼を救ったという。
また、中国では彼女を「胡姫」(=琴の姫様)と称して、
この功により贏政の寵を得た彼女が後に生んだのが
二世皇帝胡亥である とする小説もあるらしい。へえ。
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