月見酒

 

「お、いたいた」
一人、杯を傾けていた天化に、意外な声が呼びかけた。
「雲霄がいいのを持ってきてくれたんだ。どうだ、一杯」
趙公明だった。
手には、大きなひょうたんを持っている。
「蛾媚山で月の光に五年寝かせた極上モノだぜ」
返事も待たずに、その傍らにどっかり腰を下ろす。
「今日は中秋――月を見ながらってのもいいもんだ」
似ている者同士は、反発するか、気が合うか。
天化の方はまだ少々警戒していたが、先日ぶつかりあったことで、
公明はかえって天化を気に入ったらしかった。
「今日は、本陣でも酒盛りしていただろう」
なんでわざわざ、俺のところに。
そう言いたげな天化に、公明は肩をすくめる。
「俺は武人ってヤツはどうもな。あいつら、堅苦しくていけねぇ」
自由を愛する無頼派を自称する公明は、いちいち律を持ち出す崇黒虎や黄飛虎が苦手らしい。
「そう言うお前こそ、なんでこんなところで隠れて飲んでんだよ」
「――親父と飲むのはごめんだ」
たちまち不機嫌になる天化に、遠慮なく公明が笑う。
「お前らすぐにケンカになるもんな。おっもしれぇ親子」
「うるせえ。それに……」
「ん?」
「『修行中の道士は酒なんて言語道断』……って、
武人に負けず劣らず固い頭の奴もいるからな。見つかるとうるさい」
「ははぁ……」
誰のことかすぐに分かった公明がニヤリとする。
「あの大将は融通が利かなそうだよな。おとなしそうな顔してるくせに頑固だし。
うるせえ世話女房みてぇ。……って、なんか雲霄に似てるかも」
複雑な表情で、公明がひょうたんを振る。
「雲霄は俺にばっかりうるさいが、ここの大将は、もっぱらおめえに矛先が向いてるみたいじゃねぇか」
「おかげで窮屈で敵わねぇ」
「へっ、結構楽しんでるくせに」
むっと睨みつけるのを、年上の余裕でニヤリとかわし、天化の持つさかずきに酒をそそぐ。
「ま、一杯」
ふわりと漂った香りに、天化はわずかに眉をひそめた。
「金木犀……か」
桂花陳酒だった。金木犀の鮮やかな香りを移した酒。黄金色の滴。
その言葉に、公明は顔を曇らせる。
「嫌ぇだったか?」
「いや、別に。ちょっと嫌な記憶があるだけだ」
「女か!」
「……違う」
「なんだ、つまらねぇ」
色っぽい話だったら、陣内に広めてやろうと思っていたようだ。
たちまち興味を失う公明。
もう少しつついてみれば、酔いに任せて、面白い話が聞けたかもしれないのに。
「ま、それこそ嫌なことは飲んで忘れろって。明日になれば、また戦いの野だ」
「……そうだな」
たしかに酒は極上だった。
妹弟の苦労話でひとしきり盛り上がる。
しっかりしていても、手がかかっても、年下の連中は彼らにとって一番大切な宝だった。
その思いは共有できる。
天化の弟二人が先の戦いで亡くなったことを知った時には、情の厚い公明は半泣きだった。
守るべき者たちを失う悲しみは、想像するだけで恐ろしかった。
もし、自分の妹たちに何かあったら……耐えられるだろうか。
新たに、残虐な殺戮を繰り返す妖魔たちへの報復を誓う。
「それにしても、天祥は随分しっかりしてるよな。まぁ、いくらでも背伸びできる年頃なんだろうけど……」
「あいつは頭がよすぎるから、先に周りに気を使っちまうんだ。……もう少し歳相応でもいいと思うんだが」
「アニキとしては、少し寂しいんじゃねぇか?」
「まぁ……他に手のかかる奴もいることだし――」
公明が噴き出した。
「弟をかまってやれない分、他に向いてるわけか。世の中、うまく出来てるもんだな。
おめぇにとって、太公望とは?」
「三人分以上、手のかかる弟」
「ちげえねぇ!」
天化の即答に、公明が爆笑する。
確か、同い年だと聞いている。この台詞を知ったら、あの大将はまたふくれかえるだろう。
……それが子供っぽいというのに。
酌み交す極上の酒、稀な名月。
さやかな楽の音に、虫たちの饗宴。
月が真上にあがり、ひょうたんがかなり軽くなった頃。
「あーっ、二人とも、いないと思ったら、こんなところで!」
聞きなれた非難の声に、天化は肩をすくめ、公明がげらげらと笑う。
三人分手のかかる弟君の登場だ。
「まったく、お酒なんて、君たちは道士という自覚が……」
「おいおい、大将。せっかくの月に無粋だぜ、今日ぐらい大目にみろよ」
趙公明は喜怒哀楽が激しい。
その分、打ち解けた時の笑顔は、とても魅力的だ。
親しい友に向ける笑みに、太公望は言葉を失う。
仲間と認めてくれているという喜びと、安堵で。
「どうだ、お前も一杯。……そんなに強い酒じゃない。香りを楽しむもんだぜ、これは」
実のところ太公望は、趙公明と天化が争っていないことで、ほっとしていた。
珍しくそれ以上文句を言わずに公明の傍らに坐る。
「金木犀……ですか?」
「そう。桂花陳酒ってんだ。雲霄が作った一品だぜ」
「――それじゃ、お言葉に甘えて、一口だけ」
好きな香りに誘われて、これまた珍しく、太公望が杯を受け取った。
「おお、ぐっといけ、ぐっと!」
大喜びの公明が、杯ぎりぎりまで金色の滴を注ぐ。
その傍らから、そろり、そろりと、足を忍ばせて、天化が離れていた。
気づいた公明が、呼びかける。
「……? おい、どこ行くんだよ、せっかく大将が……」
が、すべて言い終わらないうちに。
「俺は、知らねぇからなーっ!」
天化は脱兎の如く、その場から逃げ出していた。
「あ、おい!?」
まだ自分の運命を知らぬ公明の背後で、天使の笑みを浮かべた太公望が、打神鞭を構えていた……。


END

るい様のコメント

公明サマ、すいません……。
マンガとリンクしちゃいました。
恐るべし、酒乱の太公望。
真面目に行こうか、一瞬悩んだんですけど。
ええ、一瞬だけでした(笑)。

管理人:浪老子のコメント

ハハハ(^^)最後に太公望の酒乱と来ましたか!
結構静かでしんみりした話だったんですが最後で一気にギャグになっちゃいましたね(笑)
(いや、笑いすぎ)
ええ、もうお酒ネタ+太公望=酒乱しかないでしょう。ちゃんとお酒が飲めるししょーもみたい気もしますが。

金木犀の香り・・・正直言わせていただくと昔小学校に行く途中、金木犀がたっくさんあったんですが、
たくさんありすぎてちょっと臭かった記憶が・・・(オイ)
でも、悪い香りではないと思います。
極上の月に、金木犀の香りをうつした黄金の酒。
飲み交わす二人の似たもの同士。
何か、二人の雰囲気にピッタリだと思います。あんまり大勢でわいわいやるようなタチでは無さそう。
喜怒哀楽の激しい公明様・・・確かにそうかもですね。泣くわ叫ぶわ・・・ねえ。
初めはあまり相手にしなかった天化も、最後の方ではすっかり和気藹々してますしVv
公明様の爆笑シーンが目に浮かびます♪

それにしても、この直後の公明様、どうなっちゃうんでしょうね。逃げきれるでしょうか?(笑)

※るい様のコメントの「マンガ」とは、るい様のHPにある1ページマンガのことです。

 

 

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