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突然現れた知盛に良く似た男――銀が奥州で望美達と行動を
共にするようになってからしばらくが経った。彼は奥州を治める御館、
藤原秀衡の息子である泰衡の郎党の一人であるらしく、また彼の命
で神子達と行動を共にすることになったという。
初めのうちこそ仲間の間でも彼の存在を疑問に思うことが多かったが、
月日を共にするうち、彼の行動のどこにも知盛の面影が見出せなかった
ことから、彼を「銀」という一人の男として受け入れ始めたようである。
・・・・・ただ一人、彼女を除いては。
*
「神子様。」
夜も深まった頃、一人縁側に出て外出しようとしていた望美に、
闇の中から声をかけられた。
特に驚くふうも無く、声の主の方へ振り返ってみれば、
やはり予想していた通りの人影があった。
「かような時分に、どこへお出かけになられるのですか?」
わずかな驚きをその声に含ませながら、徐々にこちらに歩を進めてくるのは、
彼女が未だ受け入れられないその人、銀だった。
やがて彼は望美のそばまで来るとその歩を止め、困ったように苦笑する。
しかし望美はあえて銀の顔を見ることはせず、
無感情な声のまま返事とも言えない返事を返す。
「・・・・・・眠れないの。・・・・・うぅん、眠りたくないのかも、しれない。」
やや返事に困ったものの、なおも望美が出かける準備をやめようとしないので、
彼はやはり苦笑したまま、彼女の供をすることにした。
「・・・・・では、私もお供いたしましょう。
神子様にこの夜道をお一人で歩かせる訳には参りませんから。」
望美は、諾とも、否とも言わなかった。
*
銀は、望美のやや後方から静かについてきていた。
道中も、望美は彼を拒む事はしなかったが、特に話しかけもしなかった。
それに対して、銀からも話しかけることはない。
二人はただ、未だ昇りきらない満月の夜道を、黙って進んでいた。
―――この人は、違う。
ここ奥州に来てからもう何度思ったか知れない同じ思考をまた反芻する。
―――そんな事は、わかってる・・・・・頭では、わかってる・・・・・
他人の空似にしては似すぎているところも確かにいくつかある。
・・・・・・だが、この銀が「彼」であるという確かな証拠も・・・どこにも、無い。
―――ひどいよね、こんなのって。
まるで、貴方の罠に嵌められている様。
ひょっとして、貴方はどこかで生きていて、
困惑している今の私を見て、楽しんでいるんじゃないかとも思えてくる。
でも・・・・苦しいよ。
毎日が・・・・拷問だよ。
こんなにも似てるのに違う。面影を重ねようにもそれもできず。
・・・・・もう、限界だよ。
生きているなら姿を現してよ―――!
龍神に祈って叶えられるなら祈りたい。
・・・けれど、もし彼が本当に死んでいたらそれは・・・・・
「こんな日に死ぬのも・・・・悪く無い」
刹那、目の前にあの日海へ身を投げる知盛の姿が浮かび上がった。
―――いやっ 待って、行っちゃ駄目!!!!
その存在を二度と失いたくなくて、必死に追いかけて、手を伸ばす。
「波の下にも都があるらしいぜ?――平家の夢の都がな・・・・」
―――波の 下の 都 ・ ・ ・ ?
―――そこには あなたが い る ・ ・ ・ ?
何も かも 捨てて
ただ ただ あなただけを―――
「―――望美!!!!」
強く強く、波の下へ向かうことしか考えていなかった空ろな心に響く声で
自分の名前を呼ばれ急に現実に帰る。
その声は、望美のよく知る声で。
・・・・その声は、「源氏の神子」でも「神子様」でもなく・・・・・「望美」、と。
その声には呼ばれたことの無い名前なのに、
「望美」と呼んだその声を、ひどく愛しいと思った。
次に気がつけば、自分の体は後ろから強く抱きしめられていて。
まるで、波の底へ向かおうとしていた自分を引き止めるように、
後ろから回された腕はしっかりと体の前で交わっていた。
背中に感じる体温と、肩にかかる息が、温かい。
頭上で揺れる銀色の髪が、たまらなく愛しい。
―――ここに、いた―――
波の下じゃない、貴方は、ここに―――ここに、確かにいる―――
しばらくの間、言葉も無く、そのままの体勢で互いの体温を感じていた。
*
永遠に続くかと思われるような至福の時は、「銀」の声で破られた。
「―――神子様、ここは危のうございます。」
その態度の変わりように少し落ち込む望美だったが、
今落ち着いてみて改めて自分の足が向かう先を見ると、
そこは断崖絶壁の崖の先であった。
「―――うそ!? 私いつのまにこんな・・・・・」
「この崖の下は海でございますよ。
あのまま進まれていれば・・・・お命は無いものかと。」
波の底へ行こうとしていたのは確かだった。
だがいくら意識が沈んでいたからとは言え、まさか、
こんな危険な場所から飛び込もうとしていたのかと思うと、寒気がする。
一瞬、自分の体を包む腕の力が強まった気がした。
しかしその後、すぐに腕は解かれ、望美は銀の腕から解放された。
「・・・・・助けて、くれたんですね・・・・・ありがとうございます」
やっと、彼の顔を正面から見ることができる。
自分を助けてくれたことに対して、正直に礼を言うことができる。
あの愛しい声が聞こえたのは波間からではない。
聞こえてきたのは・・・・間違いなく、自分の後ろから。
「・・・・・やっと、微笑ってくださいましたね。」
「え?」
「いえ・・・・神子様をお守りする事が、私の役目にございます。
役目を果たすのは、当然の事です。」
直前の言葉はよく聞こえなかったが、
彼はまたいつもの「銀」のように、柔らかく微笑んで茶化すのだった。
*
「さて、もう戻りましょう。明日も怨霊を封印なされるのでしょう?」
「そうですね。―――あ!」
先を行くよう促された望美がふと夜空を見上げると、
真上に昇った綺麗で大きな満月が見えた。
「・・・・・綺麗な月ですね・・・本当に。」
「・・・・・今宵は、望月・・・・・」
ふと、何かを思いついたように銀が望美を見下ろす。
・・・・・知盛と同じ銀(しろがね)色の髪を、初めて会ったときからこの時までで、
初めて綺麗だと感じた。
月の光を反射して輝くこの髪が、こんなにも綺麗な色だったのだと、
・・・・・初めて、気付いた。
少し望美を見つめた後、彼は優しく微笑んで言うのだった。
「大きく、暗い夜空にも輝く事ができる・・・・・貴女の月ですね。」
銀の口調なのに、哀しくならない。
それどころか、気恥ずかしさすら感じる。
先ほど自分の名を呼んだ、心に響く低い声で、告げられていたから―――
自分の名前を、あの愛しい声で呼んでくれた。
貴方の前から消えようとしていた私を、力強く引き止めてくれた。
それが何にも勝って嬉しくて―――
彼は、自分が知盛だ、と宣言したわけではないけれど、
それでも構わないと思う。
・・・・・彼を見ても、もう哀しくはならない。空しくはならない。
この心を満たしてくれるのは、間違いなく彼なのだから―――
私のいる場所は、ここ。
あなたがいる、他でもないこの世界―――。
続。
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