ずっと微笑んで

 


「・・・もう、逢わない方が良い・・・
 ここで私と逢った事も、忘れてくれ・・・・・・」

そう言い残して、彼は私の前を去って。
小さくなる彼の背中を、私は追う事も出来ずに。
・・・二度と姿を現すことも無いまま、今日になってしまった――

夜、本陣から少し離れた草むらから、
望美は海の上に上る月を見ていた。
・・・・切ないくらいに澄んだ海に、光を落とす月を見ていると、
不意に泣きたくなる。

・・・・明日はいよいよこの一の谷で平家との合戦がある。
ただそれだけならいい。もう戦には慣れたから。
それだけであればいい。

あの人が、明日も姿を現さなければいい――

「神子ちゃん?」

「!」
零れ落ちそうになった涙を慌てて拭うと
振り返って返事をする。
「かっ 景時さん!?」
「どうしたの?そんなに驚いちゃって」
「驚きますよ!いつからそこにいたんですか?
 それに軍議だって・・・」
「軍議ならさっき終わったよ。」

おいで、と望美に何かを見せようと手招きする。
望美がそれに応じると、少し離れた所に見える切り立った崖を指差す。

「あの崖の向こうに、平家は陣を張ってるんだ。
 前は海で後ろは絶壁に囲まれている。防御には適した場所だね。」
「・・・あそこに、平家が・・・・」

いないで、お願いだから。
そう思うたびに、平家の武者達の中に
憂いを帯びた顔で戦の準備をする彼の姿が想像されてならない。

望美にとって彼は・・・・敦盛は、平家である前に八葉だ。
しかし同じように、彼にとっては八葉である前に平家であるのかもしれない。
誇りの高い彼が平家を裏切るなど出来はしないのに、
それでも彼は神子である自分を傷つけたくないと、
何度も繰り返し言っていた。

そんな貴方の優しさが、いつだって・・・・

「・・・・ちゃん、神子ちゃん!」
「! あ、の・・・・すみません・・・・」

景時の声で我に変える。彼は若干心配そうな顔をした後、
一息ついて少々冗談を交えて言う。
「どうしたの?ぼーっとしちゃって。
 明日はまた平家と合戦だって言うのに、
 君がそんなじゃオレ負けちゃいそうだよ?」
「そう・・・ですね・・・・私が、迷ってちゃダメですよね・・・・」

言いながら、声の弱弱しさとは裏腹にスカートの裾を強く握り締める。
神子のその様子から、景時は彼女の心境を即座に察知した。

「何かあったのか・・・・なんて、聞くまでも無いね。
 ・・・・・敦盛の事かい?」
「ごめんなさい・・・彼は平氏で、景時さん達は源氏で・・・
 この戦乱の世に、例外なんて有り得ないって、わかってますっ
 ・・・・けど・・・!」

彼がまだ八葉として行動を共にしていた頃から、
いつか来るであろう運命についてリズヴァーンやその他の面々からも
忠告は受けていた。
その時は漠然と「そんな事にはさせない」と思っていただけなのに。
避けようの無い現実を叩きつけられた事を今になって実感して。

「景時さん・・・私、どうすればいいんですか?
 もう私・・・っどうしたらいいかわからなくて・・・っ!」

嗚咽交じりの声がやがて涙を伴って叫びに転じた時、

 

景時は彼女を胸に抱き寄せ、その後頭部に手を回した。

「・・・・・・泣かないでよ。
 君に泣かれると、オレだってどうしたらいいか
 わかんなくなっちゃうんだから」

後頭部に回した手で彼女の頭を撫でながら、
腰に回していた腕の力を強めて、さらに強く抱きしめる。

「・・・・・景時さん・・・・っ」
「・・・敦盛も、オレに負けず劣らずひどい男だね・・・・
 こんなにも君を苦しませておいて、平気なんだから」

口ではそう言ったが、やはり一番ひどいのは自分だろう。
勘の良い景時は敦盛と望美が互いに惹かれあっているのを
既に知っていた。
・・・・同時に、日に日に増して行く自身の嫉妬にも、気付かざるを得なかった。
そして敦盛が望美の元から去ったのを知って、
悲しむ神子を目の前にしても、どこかで喜んでいる自分がいる。
・・・・あまりにも情けない自分を、嘲笑するしかなかった。

この意志の強い神子様が、惚れた男以外に振り向くはずは無いのに。
狂おしいほどのこの想いは、ますます募るばかりで。

「・・・・それでも」

けれど、そんな自分の想いは一切口にはしない。できない。
触れれば壊れてしまいそうな今のこの子を、これ以上かき乱したくは無い。

「君は、敦盛を・・・・それ程までに愛しいと思うの?」

目は、見ない。ただ、腕の中の望美が泣くのをやめて嗚咽を繰り返し、
何かを言おうとしているのを感じる。


その時、懐かしい笛の音が夜の空気に響き渡った。


「あ・・・つもり・・・・さ・・っ・・ん・・・・なの?」
「・・・君の想いが、彼に伝わったかな。」

以前、望美が一度だけ敦盛と交わした約束があった。
「いつか、この笛を・・・・貴方の為に」
最初で、最後の、たった一つの約束。
彼はまだそれを覚えていて、今果たしてくれていると言うのか。

その音色は、打ち寄せる波の音のように静かに。
水面に映る月の光のように、さやかに。
夜の空気は冷たいのに、優しく・・・彼女を包み込む。

冷たい表情の底に隠された深い優しさを表す、彼そのものの音色だった。

 

「・・・・ふふ。どうやら彼は、ひどい上にかなりの馬鹿みたいだね」
「え?」

望美を抱いていた腕をゆっくりと解き、
少しさびしげな笑顔でわざと軽く言う。
「この笛は、君を想って吹いてるんでしょ?
 こんなに想っているに、どうして彼は平家を選ぶんだろうね」

そして海の上の空高くに上った月を見て、彼は言った。

「・・・大丈夫だって!
 ま、大船に乗ったつもりで、オレに任せちゃってよ。
 敦盛の事は、オレが何とかしてあげるから。」
「景時さん!?」

あまりの突拍子も無い発言に驚く。
本当にそれが可能ならこれほど嬉しい事は無いが・・・

「敦盛さんを・・・・連れ戻してくれる、ってことですか・・・?」
「そ。 ・・・ま、信じる信じないは神子様の決定権だけどね。
 ――どうする?神子様の「決断」とやらを下しちゃって欲しいな。」

そんなもの、答えは決まっている。

「景時さんを、信じます。・・・敦盛さんを、お願いします・・・!」

「さっすが神子ちゃんは太っ腹だね〜
 わかったよ。必ず、彼を連れ帰ってきてあげるからね。」

からからと笑いながらも、使命を帯びたしっかりとした声で、彼は誓う。
しかしその直後。

「じゃ、敦盛を連れ帰ってきたら、神子ちゃんは何をしてくれるのかな?」
「え?」
「敵を連れ帰ってくるなんて、そうそう生易しい事じゃないんだよ?
 それなりの見返りがないと、ね」

望美は困ったように返事に詰まる。
・・・・我ながらひどい質問だ、と思う。
そして自分が求める返答も、なんてバカらしいことなのだろうと。

「・・・・微笑って、くれるね?」

「! 微笑うって・・・・」
「オレが神子ちゃんからそんな大層な物せしめると思ってた?
 大丈夫、そんなのはいらないから。
 ただ・・・・微笑って欲しいんだ。いいよね。」

意外な答えにしばらく唖然としていた望美だったが、
やがて月光を背に柔らかく微笑んだ。

「・・・・はい。信じて、待ってます。」


そう、何もいらない。
君が微笑ってさえくれるなら、それでいい。
・・・君の心は、きっともう手に入らないだろうから・・・・

・・・せめて君の微笑くらいは、この手に―――

 

合戦は明日。未だ響き渡る笛の音の中、
夜の闇に紛れてそれぞれの想いが交錯していた。


完。

フライング第3弾。
・・・・長い。長い長い長い!!
しかしもしかして私景時さん好きか?
ファースト彼だったらどうしよう・・・・いや、いいんだよ、別に。

崖ってのは例の鵯越(ひよどりごえ)の事です。
ちなみに景時さんにしたのには訳があって、
平家物語「敦盛最期」で熊谷直実は
「味方が来てしまったので最早お救いしようにもどうにもできない」
というわけでせめて自分の手で、と言う事で敦盛を討っちゃうんですが、
この時来ていた味方の手勢の一方を率いていたのが、実は景時さんなんですよ!
で、遙か3景時さんならこんあ裏話があっても・・・みたいな?


■ブラウザにてお戻りください■