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女は、戦場に出るべきではない。
その考えは今でも変わってはいない。
・・・・・なのに、自分は今何をしているのか。
薄暗い鞍馬の山中を行く一行がいた。
やや前方を歩くのは、明らかに不機嫌な面持ちの九郎。
遅れて、足元を確認しながら付いて来るのは望美と、
それを見守りながら歩調をあわせて歩く弁慶。
この辺りは普段は人通りも無く、通るのはせいぜい山の獣達くらい。
故に足場も悪く、あせる九郎が少し歩調を速めれば・・・・
「きゃっ!」
「大丈夫ですか、望美。はい、お手をどうぞ。」
「・・・・またこけたのか?」
これだから女は・・・・と思いつつ、
本日もう何回目だかわからないが望美が立ち上がるのを待つ。
「どこか怪我などは・・・無いみたいですね。」
「大丈夫です、ちょっと石で滑っただけですから・・・」
怪我こそないものの、あちこち泥だらけの望美。
「だからやめておけと言ったんだ。
お前に合わせていたら、日が暮れても辿り着けないと。」
「・・・ごめんなさい・・・私のせいで・・・っ」
嗚咽交じりのような望美の声に思わずはっとなる九郎。
「まあまあ、彼女は僕達と違ってここに来るのは初めてなわけですし、
ここは彼女に合わせて行ってあげましょうよ。九郎。」
「ったわけ! お前がそう言うから少し歩みを緩めていたら、
この様だろうが!」
言って、九郎は木々の狭間から見え隠れする空を指差す。
山に入ったのは昼前だったが、今ではもう空が赤みを帯び始めている。
「この女の歩みに合わせていたら、辿り着けるどころか
この獣道で野宿になるのはまず避けられんだろうが。」
全く――と、ため息をつきながら前髪を掻き揚げる。
「大丈夫ですって。いざとなったら僕が何とかしますから。」
とりあえず進みましょうよ、という弁慶に従って、また歩み始める一行。
事の発端は昨日。
「私も・・・・戦います!」
「!? 何を言っているんだ!
戦場は女の出る幕じゃない!」
「平家の怨霊を鎮められるのは、私だけ・・・・
怨霊を鎮められれば、皆さんのお手伝いも出来ると思うんです。」
「そういう問題ではない。
お前は戦のいろはも知らない、自分の身を自分で守る事も出来ない。
そんな奴が戦場に来て生き残れると思うのか!?」
「それでも・・・!」
望美の瞳がまっすぐ九郎のそれを捕らえる。
――その瞳の真っ直ぐな様は、まさしく神子として選ばれた
娘のそれに相応しいものなのだろう。
自分が無力なのを知っていて、
それでも役目を果たそうと懸命になる。
・・・・・・・・・同時に、現実を知らない・・・・・・・・
何かをせずにはいられないから、何かをしたい。
そんな思いだけで戦場に足を踏み入れたが最後、現実に絶望する。
策謀、裏切り、暗殺・・・・本当の戦場は、穢れきっている。
それがわかっているから、戦場には行くなと言っているのに。
今一度少女の顔を見る。
相変わらず真っ直ぐ見つめてくるその瞳には、
確かな強い意志がこもっていた。
「・・・皆さんが傷ついていくのに、私だけは何もしないなんて・・・
ただ、見ているだけなんて、私は嫌です・・・!」
涙を浮かべながらも、その瞳はただひたすら九郎を見つめ続ける。
「・・・・・・わかった。」
無言で望美に背を向け、少し離れる九郎。
「九郎さん!!」
「覚悟があるのなら、付いて来い。
お前が言っている事がどれだけわがままな事か、教えてやる。」
――口で言って聞かないのならば、身を以って思い知らせるまで。
戦場の、戦いの現実と言うものを、
その身に叩き込ませるまで――
かつての自分が、そうやって現実を知ったように。
そして、事は今に至る。
今一行は、九郎の提案で彼の剣の師に会うべく、
夕暮れの鞍馬の山道を登っているわけであるが・・・・
「はあ・・・は・・・・あ・・・・」
やがて、疲労で望美の足が止まってしまう。
それに気付いた九郎と弁慶は、再び足を止めて後方を振り返る。
彼女は座り込みはしないものの、ひざに手をついて肩で息をしていた。
足はあちこち泥だらけ、擦り傷だらけで、
弁慶による応急処置が施された場所もある。
「望美、大丈夫ですか?」
弁慶が訝しげに彼女の顔を覗き込む。
「く、ろう、さん・・・・」
顔こそ上げないまま、彼女は弱弱しく九郎を呼ぶ。
「・・・・何だ。」
「その、先生の場所まであと、どれくらいの道が・・・?」
「・・・・あと一町程だと思うが。」
言いながら彼は望美の姿を見つめる。
・・・・きっともう彼女にとってはここが限界だ。
女の身にしてはよく頑張ったがこれ以上は無理だろう。
そして何より彼女は「龍神の神子」。
本来前線で剣を持つ存在では無く、剣を握る必要も無い。
これ以上必要以外のことで無理をさせて
何かあってからでは遅い。
(今夜は野宿決定か・・・)
と言いかけた時。
「行きま・・・しょう・・・あと一町なら、今日中には着ける、から・・・」
「のぞ・・・」
「まだ歩くのかお前は!?」
弁慶の声に覆いかぶさるように九郎が驚きの声を上げる。
「まだわからないのか、今のお前では
師匠に剣を習う事はおろか、師匠の元へ辿り着く事すら
出来ないじゃないか!
そもそも、お前は本来剣を持つべき存在ではない。
・・・・これに懲りて、剣は諦めろ。」
「それだけは、嫌です・・・!」
体はもう全身が悲鳴を上げているのだろうに、
瞳だけは先日自らも戦うと言ったあの時と同じ意志の強さで、
九郎を真っ直ぐ見上げてきた。
「連れて行ってください・・・お願いですから・・・っ
時間かかっちゃいますけど、必ず辿り着いてみせますから・・・!」
しばらくの沈黙。
ただ互いに瞳を見詰め合うだけ時間が、どれだけ続いたのか。
やがて九郎が軽くため息をついて口を開いた。
「――悪いが・・・」
次の瞬間、望美の体はふわりと浮き、九郎に抱えられていた。
「くっ 九郎さん!?」
「気持ちはわかるが、自分の限界と言うものも知れ。」
では、やはり・・・と落胆して顔をうつむける。
すると九郎は弁慶に軽く声をかけてそのまま道を進み始めるではないか。
「え・・・!?」
「お前がそんな状態である以上、野宿をさせるわけにはいかんだろう。
それに、『着いて来い』と言った以上、俺にも責任がある。」
「・・・・それって・・・・その・・・」
連れて行ってくれると、解釈してしまって良いのだろうか。
「悪いがこれ以上お前の歩みに合わせている訳にはいかないんでな。
師匠の所に着くまでの辛抱だ。・・・それぐらいはできるだろう。」
間近に見える切れ長の顔と、衣越しに感じる九郎の体温に
胸が高鳴るのを抑えられなかったが、
ただこくりと、一度うなずいた。
完。
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