■秘曲の旋律 一------
満天の星空の下、宿に戻るため宋意は足早に歩を進めていた。 もう誰もが寝静まる時間だが、 仕事仲間と飲んで騒いでいたので 帰宅が遅くなってしまったのである。 「っちー・・・たまんねえなあ、人っ子一人歩いてやしねえ。」 無理も無い話ではある。 ここ数年間、下都城下では人殺しの話が絶えないのだ。 犯人は相当の腕前らしく、どの殺しにおいても 獲物はほとんど抵抗する間すら与えられず ほぼ一撃で急所を仕留められているという。 「早いとこ帰んねーと、さすがに俺も危ねえってかー?」 あまり真剣には考えていないような調子で呟きながら 家路を急ぐ。 ――――と・・・・? 持ち前の勘の良さで何かに勘付いたのか、 一瞬止まって辺りの気配を探った後、 全速力で再び走り出した。 ――まずいな・・・冗談じゃなくなってきたかもしれねえ・・・ 全速力で逃げているはずなのに、 信じられない速度でみるみる近寄ってくる気配。 そしてその気配は、明らかに自分に向けられているむき出しの殺意だった。 ――もしかして・・・俺が狙われてんのか!? 見通しのきく通りまで逃げてくると、一旦気配が消えた。 怪しんで少し辺りの様子を伺ったものの、 何かが出てくる気配も無い。 「・・・ふう・・・撒けたか?しかしなんだったんだありゃあ・・・」 ――それに・・・まだなんとなく落ちつかねえ・・・ いつになく入念に、持ち歩いていた長棒を構えてみる。 しかしやはり何の気配も無い。 やはり勘繰り過ぎかと棒を収めかけた瞬間。 「・・・・何!?!?」 * 翌朝の田光の屋敷。 他の食客達が思い思いの時を過ごしている中、 朝っぱらから押しかけてきた高漸離に付きまとわれながら 荊軻は屋敷の主・田光と話をしていた――はずだった。 「お主も大変じゃのう荊卿よ。」 「ははは・・・・もう慣れましたよそろそろー・・・・」 「荊軻さーん僕はいつまでも待ってますからね〜 あなたが歌ってくれるのを〜」 「だーかーらー・・・・」 話の発端は先日。 六国を旅していたと言う荊軻に興を示した高漸離が 彼に旅の話をせがんだのだが聞き入れられず、 ならばせめて歌えと再びせがんだのだが 今度は「今は」歌えないと返されたのだった。 彼のその行動に何か気になるところでもあったのか、 荊軻が歌えるようになるまで待つ、と言い出したのだった。 ただ待っているだけなのであればまだ許容できる範囲ではある。 だがこうも、ほぼ毎日のように押しかけられては、 いい加減困るというものである。 しかもそんな荊軻の本心を周囲は知る由もなく、 むしろ「微笑ましいじゃれあい」程度にしか認識されていないのが 現状であった。 「まあ何度儂に相談されたとて答えは変わらんよ。 その男は一度これと決めたら容易には動かん男じゃ。」 そして田光もまた、事をさほど重大ではないと見たのか 「まあ覚悟を決められよ」とだけ残して席を立ち上がってしまった。 「で、田光殿ーっ」 後には情けない声で田光に救いを求める荊軻と 相変わらず傍を離れようとしない高漸離が残されるのみ。 無論周囲の他の食客達はそんな光景すらほほえましく思っているので 助け舟など最初から期待できるはずもなく。 「僕は荊軻さんさえ歌ってくれればそれで満足なんですよー?」 「勘弁してくださいって何度も言ってるのにー・・・」 「面白くない旅の話しかできない荊軻さんがいけないんですよーだ。」 「・・・・・・っ」 あくまでからかうのをやめようとしない高漸離に いい加減堪忍袋の緒が切れた荊軻はついに 机に両手を叩きつけ怒鳴った。 「・・・・あのなぁっ 私は何もあなたに聞かせるために 中原を回っていたわけじゃ――」 「大変だ田光先生!!」 しかしその心からの叫びも空しく、慌てふためいて駆け込んできた 別の食客にかき消されてしまった。 「どうした?」 奥へ入りかけていた田光が、尋常でない呼び声に再び戻ってきた。 彼の姿を目にするや否や、男は慌てて駆け寄った。 「そこの通りで全身血だらけ傷だらけで倒れてる奴がいるんですよ! 死んじゃあいないみたいですがどうも手口が・・・」 「また出たか、例のが・・・」 少し険しい顔をしながらも、やれやれと重い足取りで進み出す田光。 一方傍で聞いていた荊軻は事態がいま一つ飲み込めず田光に問うた。 「田光殿、例のというのは・・・」 「お主も来るかの、荊卿。百聞は一見に如かずじゃ。」 それきり振り向きもせずに出て行ってしまう田光。 そう言われた手前、いや、実際他の食客達の反応からしても 現場を見てみたかったので、荊軻は彼の後を追うことにした。 ・・・・もちろん、高漸離もすかさず後から付いて行く。 * 「宋意!!」 「宋意さん!!」 現場に付いた途端、二人は同時に声を上げた。 群集の中央で男達―恐らく仕事仲間であろう―に介抱されているのは 紛れも無く彼らの友、宋意だった。 「そ・・・の声・・・・・・荊軻と・・・漸離か・・・?」 全身至る所に刀傷があり、出血もかなりの量だ。 それでも応戦したのだろう、彼の愛用の棒も所々切り傷がある。 しかしこれだけ重傷にも関わらず命を取り留めただけでなく 意識もはっきりしているのだから、さすがは宋意といったところか。 慌てた二人は群集をかきわけ急ぎ宋意のもとへ駆け寄った。 「一体何があったんだ!お前ほどの男が・・・」 「ちっ・・・俺も・・・なめられた・・っ、もんだぜ・・・ あんのクソガキ・・・・っ、今度・・・会ったらっ、ただじゃおかねえ・・・っ」 「クソガキ・・・まさか子供に・・・?」 荊軻に続いて高漸離が発した言葉が癪に障ったらしく 宋意が何か返そうとしたが、それは介抱をしていた仲間に阻まれた。 「暴れると傷が開くぜ宋の旦那! あんた達も悪いがそれ以上話しかけねえでやってくれ。 この人平気そうに見えるが見ての通り重傷なんだよ」 「あ、ああ済まない・・・」 確かにそれは事実だ。 こちらの言うことに返答している宋意の表情は確かに辛そうなものだった。 これ以上は酷だろうと思い諦めて帰ろうとしたとき、背後から宋意の声が降る。 「荊軻っ 今夜、俺んとこの宿来いよ!待ってっからな。」 しばらく、二人で声の方向を見つめていたが、 やがてまた群集の外の田光がいる場所へと戻っていった。 * 「恐らく、秦舞陽じゃ。」 「「え?」」 考え込んでいた田光が何を言い出すかと思えば、 突然そんな人名を口にした。 「詳しくはまだわからんがの。今回も同じと見て間違いなさそうじゃ。 なぜあの宋意が狙われたのかはわからんが、その可能性が高い。」 「今回『も』?」 燕に来てしばらく経つとはいえ、知識量では元から住んでいる田光にも、 無論高漸離にも及ばない荊軻には その『も』の意味がわからなかった。 「ああ、荊軻さんは知らなかったっけ。」 きょとんとした顔をしながら、荊軻の前に躍り出る高漸離。 「秦舞陽っていうのは、この辺一帯じゃちょっと名の知れた刺客なんだ。 僕も実際に見たことは無いんだけど・・・ 噂によれば、十三歳にして既に人を殺していて、その眼の鋭いこと、 子供は泣かない者は無く、大人でも敢えて目を合わせようとは しないくらいなんだって。 ・・・・彼の噂を聞くようになったのは・・・ 三、四年くらい前からだったかなあ?」 うーん、と一人で悩む高漸離を尻目に、やや不機嫌な面持ちの田光。 「どうせろくな男ではないと儂は踏んでおるのだがな。 儂に言わせれば、その男はただ血を求めているだけの 殺人狂に過ぎぬ。」 「そうですか・・・」 しかし荊軻が思慮深い顔をしたまま佇んでいるので、 「―まあ、関わらん方が良いよ。お主もどうせろくな事にはならん。」 と田光は軽く流した。 ―十三歳にして人を殺した、少年の刺客・・・ それも、あの宋意にあれほどの重傷を負わせるほどの・・・ 宋意とて、本業は狗屠であるとは言え その棒術の腕は我流ながら決して侮れるようなものではないのだ。 そこそこの腕の刺客ならば容易に返り討ちにするくらいはできる。 その彼があれほどの事態になるとは、不測の事態であるにしろ 少年の殺しの腕が彼の棒術の腕を更に上回るものであると 認めざるを得ないだろう。 ―できれば関わりたくはない、が・・・・ * 「荊軻さん?」 声にはっと我に返れば、夕暮れの道を宋意の宿へ急ぐ道中であった。 「早く行かないと、秦舞陽に殺されてしまうよ?」 穏やかならぬ事を口にしながら当然のように前を行くのは、高漸離。 ―だから。 「わかってるんならどうしてついて来るんですかあなたはーーー!?」 「だって宋意さんは友達だし、荊軻さんが行くところなら 僕はついて行くだけだけど?」 「・・・・・・・」 荊軻は軽く眩暈を覚えた。 少年とはいえ相手はあの宋意をもズタズタにする程の腕だ。 できれば楽師に過ぎないこの男は共にいない方が行動しやすい。 しかもそんな人の心配をよそに、この能天気は さっさと先へ行ってしまうのだった。 「早く早くー!」 ―もういい。何か起こったら、勝手についてきた向こうのせいだ。 私は止めたぞ確かにな! そう自分に言い聞かせて、荊軻は再び歩き始めた。 やがて宿に着くと、既に宋意が仲間に支えられ起き上がって待っていた。 「悪いな、いきなり呼んじまってよ。」 「いや、気にしないでいい・・・体は大丈夫なのか?」 「当たり前よ!この宋意様がたかが一度や二度死にかけたぐ・・・うっ」 宋意はどんと胸を叩いて見せたが、その拍子に傷に響いたのか 痛みに顔をしかめながら体をよろつかせた。 全身包帯に巻かれていて、誰が見ても重傷人であるのに、 本人にはその自覚がないのだから、これはこれで恐ろしい。 周囲の仲間の、慌てて彼を支える姿が何とも哀れであった。 「でも、宋意さんの生命力って、まるでゴキブリ並みにしぶといよねー…」 「・・・てめえも同じ目に遭うか?え?この道化野郎・・・」 「まあそれはそれとして・・・宋意、私に用があるんだろう?」 苦笑いで荊軻が無理やり話題を変えると、一同の視線が宋意に集まった。 「あぁそうだよ、お前に聞いてもらいてえ話があってよぉ。」 本題に入る前に、戸口に立ったままだった荊軻らを部屋へ招き入れると、 仲間達に支えられながら自分もどっかりと腰を下ろした。 「話とは?」 「――秦舞陽ってガキを知ってるか?」 「!」 知っているも何も、今日田光や高漸離に彼にまつわる話を聞いた所である。 話が話だけに荊軻は真剣な面持ちで首を縦に振ると、宋意は話を続けた。 「だったら話は早えんだ。昨日の晩に俺をこんなにしやがったガキ、 暗くて顔はよく見えなかったんだけどよ・・・ ひょっとしてそいつじゃねえかって思ってんだ。」 「・・・・・」 有り得ない話ではない。現に田光もそう憶測していたし、 宋意ほどの棒術の腕なら、普段は一撃で相手を仕留める彼の剣撃を 幾度にも渡って防げたと考えることも出来る。 ・・・だが、確実に彼であると断定するにはまだ根拠が少なすぎる。 「なんで秦舞陽だと思うんだ?」 「バッカ、ガキでそこそこ腕の立つ刺客なんざこの下都じゃ限られてんだよ。」 自分で言っていながら、「しかしいくら秦舞陽でも・・・・」と反芻しては 宋意ははあぁ・・・と盛大なため息をついていた。 どうやら子供に殺されかけたというのが、最大の屈辱であったらしい。 「これしきの怪我はどうだっていいんだ。だがこちとらこれ以上無えくらい 面子潰されてんだ、このまま引き下がるわけにはいかねえ。」 ―これほどの怪我をまだ「これしき」と言い切るか、この男は。 左目に巻かれた包帯が痛々しく見えたが、敢えてその点に関しては 荊軻は何も突っ込まずに話を進めた。 「どうするつもりなんだ。」 「俺としちゃあ今夜にでもあいつの所へ殴りこんでやりてえ気分だが、 生憎体が言うこと聞きやがらねえもんでよ。 ―そこで、お前に頼みがある。」 「――聞こう。」 真剣な顔の宋意を前に、荊軻は断る術を知らなかった。 「秦舞陽を叩っ斬ってくれ。」 「・・・・・・・・・・・」 しばしの沈黙が、場を包んだ。 目の前には、真剣と言うよりやや目の据わった宋意。 おそらくは本心。 しかし、荊軻はその言葉にはどうしても「諾」と返せない訳があった。 彼は元来剣客であるし、人が斬れないわけではない。 ただ、彼が今所持している剣では人を斬るわけにはいかなかったのだ。 悩みに悩んで、やむなく承諾できない旨を伝えようと口を開きかけた時、 不意に自分の隣りの空気が動いた。 先程から珍しくずっと口を挟まずにいた高漸離である。 「ねえ、ちょっといいかな宋意さん。」 「なんだよ漸離。」 「こういうのはどうかな、荊軻さんはとりあえず秦舞陽と立ち会って、 秦舞陽をここへ連れてくる。 宋意さんはそこで、自分の手で彼を好きにするっていうのは。」 ―こいつ。 楽師と侮っていたが、時には中々に恐ろしいことを考える男であることを 荊軻と宋意が思い知らされた瞬間だった。 「それの方がさ、宋意さんとしては自分の面子も取り戻せるし良いんじゃない?」 しかも、それを真顔で淡々と言ってのけるときた。 だが宋意は最後の言葉に満足したらしく、笑って高漸離の案を受け入れた。 「お前もいい事言うじゃねえか。 わかった、じゃあそれでいくぜ。・・・頼めるか荊軻?」 人を殺さずにすんだのは良いが、敵として会う相手を生かしたまま連れてくる というのは、ある意味殺してしまうことよりも至難の業なのである。 「・・・・・・・・」 即答はしかねたが、ここで己が断ってしまえば今度は高漸離の立場が無くなってしまう。 第一宋意も己を信頼しているからこそ、きっと無理を承知で このようなことを頼んでいるのだろう。 彼の周囲の仲間に至っては祈るような視線でこちらの返答を今かと待っている。 「・・・・・わかった。必ず彼を連れてこよう・・・・」 続。 |
うちの漸離はほんのり黒属性(笑)
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