氷雨の中の兄妹
〜公明編〜

 

俺が必ず守ってやる。 もう誰も悲しまぬ様に・・・

ザアァァァァァ・・・・
「全く、昨日はあんなに晴れてたのによお!」
蛾媚山の洞府から、外を見上げる。
その日は、とても酷い雨だった。近くの川もかなり増水している。
「どこへも行けないわね。これでは。」
「今日はここでおとなしくしときましょ。」
「うん・・・」
三人の妹達も浮かない顔をしているが、末妹の瓊霄はさらに輪を書いて元気がない。
「おい瓊霄!どうした!元気ねえじゃねえか。」
何かあったのかと思い、気になって声をかけたが、瓊霄は元気なく首を振っただけであった。
「・・・・・なんでもないよ、兄様・・・」
「何でもないわけねえだろ!一体どうしたんだ。お前らしくもない。」
いつもの妹なら、もっとはじける様な笑顔をしているはずなのに。
今日はまるでしおれた花を思わせるような消沈ぶりだ。
「ほんとに、何でもないってば。」
「無理すんじゃねえよ。何かあるなら俺に言ってみろ。」
軽く瓊霄の肩に手を置く。妹の顔を覗き込もうとしたが、顔を背けられてしまった。
背けられた瓊霄の顔は、何とも辛そうな顔をしていた。
その理由を理解するには、公明にはまだ不可能であった・・・

なにも答えない瓊霄から離れて、他の二人の妹達に尋ねた。
「お前ら、昨日何かあったのか?」
二人は一瞬驚き、互いに顔を見合わせてから答えた。
「い、いえ・・・何も・・・」
「本当か?」
「ありませんよ、何も・・・・ねえ、お姉様。」
「ええ。」
どうもぎこちない二人の様子が気になったが、とりあえずそれ以上問うのはやめた。
「・・・だといいがな。一体どうしちまったんだ瓊霄・・・・」

それは前の日、瓊霄が突然公明に尋ねてきた事だった。
「兄様兄様!」
「何だ瓊霄。」
「私達の父様は、戦争で兵士に駆り立てられて死んだって言ってたよね!」
「・・・ああ。」
兵士に自分から名乗り出て、勝手に村出て、勝手に死んで・・・
好き勝手な奴だったな。あの親父は・・・いいトコ無しだぜ。
回想にふけっていると、続けて瓊霄が尋ねてきた。
「じゃあ、母様は?母様はまだ生きてるの?」
「!!」
瓊霄を生むと同時に、死んだおふくろ。
病弱だったのに、妖魔から瓊霄を守る為に、全ての力を使い果たした、おふくろ。
もう、この世にはいない・・・
果たしてこのことを、この幼い妹に話して無事ですむだろうか。
瓊霄ももう10歳だ。きっと真実を知れば自分を責めてしまうに違いない。
顔を上げると、瓊霄が今か今かと返事を待っていた。

・・・この笑顔を、壊したくないしな・・・

ふっと笑ってみせると、とっさに思いついたことを口にした。
「おふくろは、お前が生まれてすぐ遠くへ行っちまってな。
もう戻ってこれねえけど、ずっと見守ってくれてるぜ。」
すると、瓊霄の顔はみるみる明るくなって、飛んで喜んでいた。
「やった!母様は、どこかで生きてるんだね!
私達を、今こうしてる間もずっと、ずっと見ててくれてるんだね!?」
「ああ、そうだ。」
「よかった〜・・・父様も母様も死んでたら、私どうしようかと思った・・・」
くるくるとはしゃいで喜ぶ瓊霄を見ていると、何だか本当に母親が生きているようなもしてくる。
――おふくろはもういない。それはもうわかりきっている。
瓊霄には嘘を教えてしまったけど、真実を知って傷ついてしまうくらいなら・・・

「どこかで生きているはずのおふくろ」を・・・信じていてもらいたい。

昨日はあんなに笑っていたのに。なぜ今日はこんなにも落ちこんでいるのか。
気になってなかなか落ちつけず、洞府内をうろうろしていると、
洞府の入口に誰かが来た。
「趙公明殿。通天教主様の命により、碧遊宮までご足労願いたい。」
「何だよ師匠の呼び出しか・・・おい雲霄!碧霄!瓊霄!お前らも来い!!」
「「はい。お兄様。」」
二人の妹はすぐに来たが、瓊霄だけが空ろな瞳で座り込んでいる。
「瓊霄?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「瓊霄、おい!瓊霄!!聞こえてんのか!?」
「・・・あ、はい、兄様。」
大声で呼ぶと、やっと返事をした。
「師匠の所へ行くぞ!お前も来い!!」
「はい・・・」

やはり元気がない。本当は今すぐ問いただしたいところだが、
師匠の命なので、とりあえず碧遊宮に急ぐことにした。

           *              

「じゃ俺は師匠に会って来るから。お前らはここで待ってろ。」
「「はい。」」
「はい・・・・・」
やはり沈んでいる妹が気になったが、とりあえずは師匠に会ってくることにした。

「趙公明・・・」
「聞仲か!」
謁見の間には、弟弟子が既に待っていた。
実力も公明に負けずとも劣らないほどであり、そろそろ自分で洞府を持っても良い頃であった。
「もしかして、今回の師匠の用件って、お前もついに洞府を持つ事になったのかよ!」
「いや・・・・逆だ。趙公明。私は・・・」
「よかったじゃねえかよ!そうかそうか・・・」
一人で突っ走る公明にどうして良いかわからず唖然としていると、通天教主が現れた。
「先走るな公明よ。今日はその事をお前にも教えてやろうと思ってわざわざ呼んだのだ。」
「その事・・・って、何の事だよ。」
次に出た言葉が、公明をどれだけ落胆させたかは、言うまでもない。
「聞仲が、人界に下りる。人界の王朝・・・商の紂王に仕えるためにな。」
―――――嘘だろ!?
慌てて聞仲の顔を見る。しかし聞仲はすまなさそうな顔でこちらを見るだけだった。
「ちょっ、冗談じゃねえぞおい・・・お前仙界に来たんだろ?道士になったんだろ!?
何で今更また人界に戻る必要がある!?」
「私は・・・力が欲しくて、仙界に来たのだ。
他のどんな力にも屈しない、どんな力からも陛下を守りきれる力が・・・
陛下にも必ず戻ってくると約束して、ここに来たのだ。
約束を違える訳には行かない。」
「んな事言ったって・・・・お前がここに来てからもう何年経ってる!?
お前の陛下だって覚えてるかどうか・・・」
「例え陛下が忘れておられたとしても!!・・・私は人界に戻る。
陛下の治世を守る為に・・・商を守る為に。」
・・・聞仲は、本気だった。多分、止めたって無駄だろう。
それは俺が誰よりもわかってる。わかってるけど・・・・!
「・・・俺を置いて行くのかよ・・・聞仲・・・」
「・・・すまない・・・」
仙界に来て、妹達と師匠以外誰とも関係を持たなかった彼が
初めて見つけた「友」。
長く共に修行を積んできた友に別れを告げられるのは・・・つらい。
「・・・わかったよ。お前がそこまで言うんなら俺はもう止めねえ。好きにしろ。
でも・・・たまには顔見せろよ。」
「・・・ありがとう。時々顔を見せに戻ってくる事にするよ。」
かすかに聞仲が微笑んだ。
・・・あいつが本気でそう思ってんなら、俺はあえて止めはしねえ。
言ったって、絶対聞かねえしな。

               *

謁見が終わり、聞仲と分かれた公明は、大広間に残してきたはずの妹達の元へ行った。
が。
「おいお前ら!瓊霄はどこ行ったんだ!!」
三人残して来たはずの妹達のうち、そこにいたのは二人だけだった。
それも、いないのは一番かわいい末妹。
「け・・・瓊霄は・・・」
雲霄が珍しく動揺している。碧霄に至っては、こちらを見ようともしない。
―――あれからずっと一緒にいたはずだ。知らないはずがねえ!!
「答えろ!!瓊霄はどこへ行きやがった!?」
たまらなくなって碧霄が泣きながらくず折れる。
「申し訳ありませんお兄様!!瓊霄は・・・瓊霄は中庭へ・・・!」
「何でったって中庭なんざに行かなきゃならねえんだ!こっから結構離れてるし、
第一この雨の中、何しに行く必要があるんだよ!!」
「中庭で、多分この前修行していた時でしょう、落し物を拾いに・・・」
途中まで言って雲霄がハッとして言葉を失った。
そして、しばらく何か考えているような素振りを見せた後、ひどく焦って兄に言った。
「お兄様!!早く行って下さい!!でないとあの子は、あの子は・・・!!」
「お願いです!行ってくださいお兄様!!!」
「一体何があったんだ!!」
何が起こっているのかわからず、事態を把握しようにも
妹達はひどく慌てていて、物事の経緯を話す余裕もないようだ。
「話している時間はありません!早く瓊霄を!!」
時は一刻を争う。もうためらっている時間などないのだ。
最悪の場合、取り返しのつかない事になってしまう。
妹達の気持ちが伝わったのか、公明はそれ以上問い詰めるのをやめた。
「場所は!」
「中庭です!中庭の、一番大きな赤い柱の橋です!!」
「わかった!行ってくる!!」
疾風の如く、公明は本宮を後にし、中庭に向かった、

                  *

雨は相変わらず降っていた。それどころか、勢いを増している。
降りしきる雨の中、公明は走りながらふと思い当たる所があった。
―――もしかして・・・・言っちまったのか、あいつら・・・
昨日、瓊霄に「母親は生きている」と言ってしまった建前、
妹達にも話を合わしておく必要があった。
瓊霄がいなくなった隙を見て、他の妹二人を呼び事の経緯を話した。
「――――ってことだ。瓊霄には、そういう事で話を合わしといてくれ。」
「・・・わかりました。」
「あの事実は、あの子にはきつすぎますものね・・・」

―――もしそれを言っちまったとしたら、あいつの性格なら、絶対に傷つく!
ましてや「自分のせいで母親が死んだ」なんて思いこんだら・・・ただじゃ済まねえぞ!!
頭に最悪の事態がちらつくのを振り払いながら、「赤い柱の橋」に向かって走って行く。
碧遊宮には様々な橋があるが、「赤い柱の橋」は1番大きく目立つ橋なので、
見間違える筈がなかった。案の定、やがて遠くに真っ赤な柱が見えてきた。
「瓊霄ー!!!瓊霄ー!!!!どこにいるー!!!」
呼んでみるが、応答はない。
無理もない。この雨の音では、ほとんどの声がかき消されてしまう。
「・・・ともかくあの橋にいることは間違いねえんだ!無事でいてくれよ瓊霄!!」
雨に濡れて外套が重い。走りづらいのを我慢しながら、橋に近づいていく。

橋の側まで来ると、何やら雨に混じってか細い声が聞こえる。
少女の、震える声で。
――――この声は・・・瓊霄か!?
「兄様ァーーーー!!!」
悲鳴混じりの甲高い声が聞こえ、橋へ駈け寄ると
瓊霄が橋の手すりから手を滑らせているではないか。
「瓊霄ーー!!!」
さすがに間に合わず、瓊霄は激流の川の中へ呑み込まれて行った。
――ちっ・・・この流れじゃ、泳いで助けに行けるかどうか・・・
ふと脳裏に浮かんだ、数十年前の自らの誓い。
・・・あの時、両親の墓前に、自分は何を誓ったか・・・
「・・・・やってみなきゃ、わかんねえか・・・死ぬなよ!!瓊霄!!」
自らも激流に飛びこみ、瓊霄に追いつくべく泳いだ。
妹はすぐに見つかり、何とか捕まえる事はできたが、流れが激しくなかなか岸に上がれない。
しかも、どうやら瓊霄は意識を失っている様だ。
――できるかどうかわかんねえが・・・イチかバチかだ!!
「・・・水遁の術!!」
瓊霄を抱いた公明は数滴の水と化し、何とか陸に上がる事ができた。
とりあえず岸に瓊霄を寝かせると、目を覚まさせようと頬を叩く。
「おい!起きろ瓊霄!しっかりしろ!!」
青ざめ、冷たくなった瓊霄は、何も反応しない。
―――死んじゃいねえとは思うが・・・息してねえな・・・
「ったく・・・ガキの頃、よく雲霄や碧霄が川で溺れて何回か息止まった時もあったが・・・
まさかお前にまでしなきゃなんねえなんてな・・・」
苦笑しつつ、やり慣れた人工呼吸を始めた。


              
 *

しばらく続けていると、瓊霄が咳き込んで息を吹き返した。
やがてゆっくりと目を開け、うつろな目でこちらを見上げてくる。
「兄・・・様・・・?」
「瓊霄!」
やはり生きていた・・・!なかなか目を覚まさないので
一瞬手遅れかとも思ったが、やはり生きていた!
「兄様、あたし・・・」
「っのバカ野郎が!」
「ごめんなさい!あたし・・・あたし怖くて・・・」
すっかり冷えてしまった妹の体を包み込む様にして抱きしめる。
「あんまり兄ちゃんに心配かけさせんじゃねえよこの野郎が・・・」
腕に力がこもる。
「こんなに冷たくなっちまって・・・死ぬ気かよお前!」
・・・失ってしまうかと思うと、怖かった。
絶対に守ると誓った妹達を・・・失うのが怖かった。
「・・・ったんだ・・・」
「ん?」
腕の中で、瓊霄が呟いた。
「死ぬ気だったんだ、あたし。」
あまりに唐突なその言葉に、公明が憤慨する。
「何でだよ!何でお前が死ななきゃならねえ!?誰かになんか言われたのか!?」
「昨日ね・・・母様は私を生むとすぐに死んだって・・・教えられたんだ。
あたし、何だか生きてちゃいけないような気がして・・・」
「誰がそんな事言ったんだ!!俺達のおふくろは、ちゃんと・・・」
「もう、嘘付かなくていいよ、兄様。姉様に聞いたんだもん。
あたしを生んだ後すぐ死んだって・・・
あたしが生まれたせいで、母様は・・・・」
・・・やっぱり・・・言っちまったのかあいつら・・・
「あたしさえ生まれなければ、母様は死なずに済んだんだ!!」
「バカ言うんじゃねえ!!!」
妹の肩にしっかりと手を置き、向かい合った。
・・・隠し続けても、いつかはばれちまう事だとはわかってた。
それでも、ほんの少しでも傷付かずにいてくれればと思っていたが・・・
この際、隠すよりもしっかりとわからせた方が良さそうだ。
「そこまで知っちまったんじゃあ、今さら隠した所で何の意味もねえ。
・・・確かに、おふくろは死んじまったんだ。お前を生んで、すぐにな。
手伝いに来てたやつの話じゃ、お前は死産かもしれないとまで言われてたんだ。
おふくろの命が助かるにはそれしか道がなかった。
でもおふくろはこう言ったんだ。」
死ぬ前の、母の言葉を思い出しながら、言った。
「『私は死んでも、この子だけはどうしても産みたいのです!お願いします・・・』」
病と産みの苦しみに襲われながら、それでも母はこの言葉を言ったのだ。
「死ぬ直前にもこう言ってた。
『私はこの子が大きくなって、幸せに暮らしている所を見る事はできないけれど、
きっと明るくて、元気で、みんなから好かれる子に・・・』ってな。」
それは遺言であり、自分に課せられた使命。
だからできる限り瓊霄の前では悲しまなかった。常に明るくありつづけた。
それで瓊霄が笑い続けてくれるなら。母親のいない悲しみを、拭い去ることができるなら。
「ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさい兄様・・・・」
泣きながら、瓊霄が胸にすがりつく。
「過ぎちまった事だ。もういい。
お前は現に、こうして生きていてくれた。俺はそれだけで十分だ・・・」
「兄様・・・」
「泣くなら今のうちに泣いちまいな。これからはもう・・・自分を責めるな。
お前らが自分を責めないでいいように、俺がお前らを守ってやるから。
自分を責めて泣くな、いいな!」
泣きつづける瓊霄を、そっと外套で包んでやる。
・・・・絶対に、守りぬく。あの時もそう誓った。
聞仲も妹達も・・・絶対に失わない。
大切な者をなくさぬ様に・・・強くなる。
ここへ来る前にそう誓った。
そして今、改めて誓いを立てる。


俺が必ず守ってやる。 もう誰も悲しまぬ様に・・・


やがて瓊霄が泣き止み、元のはちきれそうな、真夏の太陽を思わせる
飛びきりの笑顔で言った。


「兄様!  瓊霄、もう泣かないよ!」




遠くから、二人の妹達が近づいてくるのが見えた。
「瓊霄!!無事だったのですね!!」
「よかった・・・本当に良かった・・・」
「うん。もう、大丈夫だよ!姉様達、兄様、心配かけてごめんなさい!」
にっこりと微笑んだ後、軽く頭を下げた。
「ったくこの・・・謝るくらいなら初めからすんじゃねえよこいつ!」
笑いながら、瓊霄の頭を軽くこずいた。



今をさかのぼる事、五年程前の梅雨の日の話・・・・

ここまで読んでくださってありがとうございます。瓊霄編よりやっぱ長くなりましたね・・・
「氷雨の中の兄妹―公明編―」です。

人工呼吸のシーンでかなり止まりました。
一応言っときますけど、ラブラブものじゃないですからね!?
「人工呼吸」は漫画の世界ではほぼ「キス」と同様に扱われる事が多いですが、
ここでは本当の意味で「呼吸をさせるため」です。ええ。それだけです。

あと、途中で聞太師が人界へ降りるシーンありましたね。
私なりにある程度の構想は前々からあったんですが。
「時々顔を見せに来い」ってのがポイント(笑)
今度は二人の修行シーンでも書こうかな。
あ、ついでに。通天教主はゲーム版の「悪役ボス」的な人よりも、
CD版のまだ温かみがある教主にしてます。
・・・一応・・・3姉妹は聞太師とも結構仲がいいと思われます。
ゲームでの瓊霄ちゃんの悲しみ様見る辺り・・・

 

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