反魂
間に合わなかった。
こうなることは予想していたのに。
少しでも目を離してしまった自分に腹が立つ。
「一日百回だって誉めてやる! だから死ぬな! 白鶴!」
「うん……ししょー……役に立てて……よか……た……」
「白鶴? おい、白鶴! 目を開けろ! しっかりするんだ!」
悲痛な叫び声。
けれど同情する気にはならない。すべて、こいつのせいなのだから。
「黄飛虎殿……みんなを集めてください」
太公望の指示で、黄将軍が陣に走っていく。
「今度は逃がさない。必ず妲己を滅ぼし、蚩尤の復活を食い止める。
……白鶴、見ていてくれ!」
震える声。誓いの言葉。
そんなことをしても、白鶴くんが戻ってくるわけでもないのに。
「太公望君……君の無能ぶりにはお手上げだ……」
今にも泣き出しそうな顔が振り返った。
「さっさとジョカ宮に行きたまえ! だから僕は反対したんだ……」
白鶴くんが妲己を追うと言った時、僕は止めた。
彼女は聞かなかった。太公望の役に立つのが嬉しいのだと言って……。
けれど、こんな奴のために、君が犠牲になるなんて間違ってる!
「え……?」
「なんでもない! ぼーっとしてないで、早く行きたまえ!
 ……白鶴くんは僕が葬っておく……それでは、失礼するよ」
これ以上、彼女を死に追いやった奴なんぞを見ている気にはならなかった。
君が笑顔でいるなら、それでよかった。
たとえ、それが僕の前でなくても。
初めて触れる体がこんなに冷たいなんて。
――あんまりだ。

**

紂王は自害した。
これで残るは妲己一人。しかし、逃げた場所が分からない。
だが、蚩尤の復活をこの長歌で図っていた以上、そう遠くはないはずだ。
その行き先を探していた矢先、一騒ぎ起こった。
軍をまとめ始める親父の声。……妲己の居場所が分かったのか?
行ってみると、驚いたことに嬋玉が泣きじゃくっていた。……あの気の強い女が。
「一体何があった?」
「天化……白鶴ちゃんが……」
「あの嬢ちゃんが……死んだって!?」
いつも太公望にまとわりついていた喧しい少女。
儚げな姿とはうらはらに、凄まじい威力の宝貝を使いこなす、元始天尊様付きの仙童。
あれだけの使い手がやられたとすれば……それは、妲己の仕業に違いない。
「……太公望は?」
「おじさまに軍のとりまとめを頼んで、今は天幕に戻ってるわ……」
つきまとわれて辟易しながらも、太公望は白鶴を妹のように可愛がっていた。
崑崙の洞府で五年間。太公望が友としていたのは、恐らく白鶴一人。
その存在は、俺たちよりも遥かに大きかったはずだ。
それを失った直後に、軍を動かせるような性格か、あいつが!
「太公望、入るぞ」
空ろな顔が振り返った。
泣いてはいなかった。
乾いた目。
悲しみを乗り越えたからではない。ショックが大きすぎて涙が出ないのだ。
「天化……白鶴が……」
こんな時、かける言葉を俺は知らない。
無言のまま隣に坐ると、力なく肩口にもたれかかってきた。
「僕がいけなかったんだ。あのとき、僕が止めていれば……」
「お前のせいじゃない」
誰のせいでもあるものか。
いや、いるとしたらあの女狐。
妲己の奴、一体どこまで力を隠していやがる。
白鶴も、後をつけるだけと油断して、その力を読み誤ったに違いない。
「白鶴は、どうなったんだ?」
少女の姿をしてはいたが、あれは鶴の化身。
数百年の時を経てきた仙界の存在だ。それなりの見送りがされるだろう。
「申公豹さんが連れて行った……葬ってくれるって……」
申公豹が?
そういえば、申公豹は白鶴を気に入っていた。
あの傍若無人なはぐれ道士が、白鶴の前だけは、少し気を使っていた。
多分、惚れていたんだろう。自らその遺体を引きうけるほど。
だが……死んだと言われて、あきらめるだろうか?
俺ならどうする?
なんとなく、俺には奴の次の行動が分かるような気がした。
「太公望、今日は軍を動かすな。俺はこれから陣を離れる」
「え……?」
太公望の顔に、わずかに表情が戻った。だがそれは、怯えの色が大半だった。
「こんな時に、一体どこへ!?」
そばにいてくれ。
そう言われたような気がした。
それでも、今行かないと意味がない。
「お前、今自分がどんな状態か分かってないだろう。
冷静な判断のできない奴に、軍の指揮など任せられるか。
――親父たちには、俺から言っておく。今日はおとなしく寝てろ」
「そんな、僕は……!」
「悪いな……春眠光」
普段なら、俺なんぞの幻惑術など効かないはずの太公望が、
あっさりとかかってその場に崩れた。
まだ畳まれたままの夜具にもたれさせ、俺は天幕を出た。

***

僕は白鶴くんを自分の洞府に連れ帰った。
まだ、あきらめたくない。
方法はある。反魂の術。仙術の真髄とも言える、命を操る秘法。
滅多に使ってはならない術だが、今使わなくてどうする?
問題は、必要な薬丹が残り少ないということだった。
僕は今まで、こんな薬丹が必要になることなどなかったから。
けれど、改めて取りに行っている暇はない。
命の火が消えて時間が立つほど成功率が落ちてしまう。今あるだけでやるしかあるまい。
知る限りの仙薬と、持てる限りの術を投じて。
……夜中になっているのに気づいたのは、誰かが洞府に入ってきた時だった。
何度か顔を合わせたことのある道士。
常に太公望の隣に立っている、西岐軍一の剣の使い手。
一体どこから駆けつけてきたのか……
まだ息も整えていない。隙を見せない剣士にしては珍しい。
「何しに来た?」
無造作に麻袋が投げられた。その中に入っていたのは――。
「光明砂と反魂樹だ。要るだろう?」
「辰州まで行ってきたのか!?
それに反魂樹……これは、花魄(かはく)が守っているはず……」
どちらも手に入れるのに、数ヶ月はかかりそうな代物。
そして、これからの術の仕上げに足りないと危ぶんでいたものだった。
「どうして……」
「その嬢ちゃんの喧しい声を聞かないと調子が出なくてな」
「……礼なんか言わないぞ」
「いらねぇよ。別にあんたのためじゃない。
――俺には、反魂なんて術は使えないからな。後は頼んだぜ。失敗するなよ」
そう言って、あっさりと背を向ける。
最後の戦いを前にして、一人陣を離れ、命がけで反魂に必要なものを取ってきた。
それはもちろん、僕のためじゃない。かといって、白鶴のためでもない。
「おい!」
僕は前に作っておいた自信作の傷薬を投げつけた。
……花魄を相手にして、無傷であるものか。
受けとめて、奴はニヤリとした。
「毒薬じゃないだろうな」
「殺すつもりなら、君の大将の目の前でやってやるさ」
「負けねぇよ」
不敵な笑いと共にその姿は消えた。

**

戻った俺は、いきなりひっぱたかれた。
まぁ、そうなるんじゃないかとは思っていたが。
「こんな時に、一体どういうつもりだ! こ、こんなに怪我だらけで……」
腕の、ざっくりと切り裂かれた傷跡を目ざとく見つけられた。
「白鶴があんなことになって……君にまで何かあったら……」
「死なねぇよ、俺は。最後までつきあうって言っただろ」
安命術をかけようとするのを止める。
申公豹の薬でもう、傷はふさがっている。確かに奴の腕前は超一級だ。
「この戦いが終わったら、多分いい知らせがある。だから……絶対に負けるんじゃねぇぞ」
俺の言葉に、何を感じ取ったものか。
太公望はそれ以上尋ねようとはせず、代わりにわずかに微笑んだ。

****

妲己は倒れた。
蚩尤も眠りについた。
新たな王を迎えて、朝歌はたちまち賑わいを取り戻している。
人間たちは、生きることになんと貪欲でたくましいことか。
「来た来た来た……人界を救った英雄のご登場だ!」
僕が姿を見せると、太公望の表情が暗く翳った。
「白鶴のこと……ありがとうございました」
「礼には及ばない。僕は君は大っ嫌いだが、白鶴くんは気に入っていたしね。
だから、ついつい……柄にもない親切心を出してしまった」
「申公豹さん……」
「ふあああ……ここ数日、ほとんど寝ていないんだ。ひさびさに、大掛かりな術を使ったものでね」
わざと、大あくびしてみせる。
こいつを喜ばせるのは不本意だ。少しでも時間を長引かせてやる。
「えっ?」
「だいたい、この睡眠不足の全責任は君にあるんだぞ!」
「な、なんのことですか? 僕にはさっぱり……」
相変わらずの、ぼけぼけな対応。まったく、これでよく対妖魔軍を率いていたものだ。
「いままでずっと、元始天尊様の命令だから仕方なく君を助けていたが……もうまっぴらだ!
君とはニ度と逢いたくない。失礼するよ!」
黒点虎を呼び、大空に飛び立つ。
……少し離れた大樹で待っていた人影に、僕は声をかけた。
「白鶴くん。太公望くんは旅に出るつもりらしいよ。今、朝歌の大門の前だ。
追いかければ間に合うだろう」
「えーっ、ししょーったら、一人で!? 
すぐ追いかけなくちゃ! ――申公豹さま、本当にありがとう!」
満面の笑顔がまぶしい。
他の男のところへ行くのを見送るというのは、ちょっと悔しいけど。
太公望が、もう一人の彼女と白鶴くんに挟まれて蒼ざめているのが目に浮かぶ。
……せいぜい苦労するがいいさ。
憂さ晴らしに何か面白いことはないかと朝歌を飛びまわっていると、
大きな屋敷の窓に見覚えのある姿を見つけた。
「やあ、色男。さえないツラしてるな」
「申公豹か」
「いいのか? 君の大将は旅に出てしまうよ」
「あいつが行くと決めたんだ。……お前こそ、いいのか。
その顔じゃ、白鶴は無事に生き返ったんだろう?
放っておいたら、太公望の後を追って行っちまうぜ。
せっかく大技を使ったんだ。見直してもらういい機会だろうに」
「……恩を売るなんて、僕のやることじゃない」
あの子の困った顔なんか見たくない。
「お互い、惚れる相手を間違えたね」
「まったくだ」

遠く離れて、その姿を見ることができなくても。
――君が笑顔でいるなら、それでいい。

END


るい様のコメント

そういえば、初めての一人称です。
いつも、話を書くときには、三人称でも視点を決めているのですが……。
今回のは、特に強調した方がいいかな、と思って。

好きな人の笑顔って嬉しいもんです。
しかし……この二人、報われない……。
こんなに苦労してるのに。

管理人:浪老子のコメント

いいですよ〜Vvもう〜!
特に「満面の笑顔がまぶしい。/他の男のところへ行くのを見送るというのは、ちょっと悔しいけど。」
ってところが!切ないねぇ〜健気だね〜申公豹様!(表現間違ってるカモ)
しかも普通の表現じゃなくて、倒置法になってるところがまたミソ!より一層味を出してます。
天化も「あいつが決めた事に俺はいちいち口だしはしねえ」って言いたげですね。
たとえ、自分の側を離れてしまっても、もう目に見る事ができなくても、
「――君が笑顔でいるなら、それでいい。」
わかりますよ。
そして「君に笑顔でいてもらいたい」から、自分がどんな目にあおうとも平気なんですよね。
大切な人の為に命をかける。私は好きです。そういうの。

本当に素晴らしい小説をありがとうございました〜Vv

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