最後の戦

 

欠け失われ行く十六夜の月が、やけに眩しい夜だった。

 

結局、戦は起こらぬまま源氏と平家の争いは明日、終焉を迎えようとしている。
停戦へ向けた動きが無かったわけではない。
確かに将臣が以前から法皇に進言していたという和議の話はあったが、
あの狸が和議を鵜呑みにするとは到底思えず、
むしろこのまま源氏と平家を戦わせたがっているようにも感じられた。

――いや・・・法皇様も、有川も関係無いか・・・

法皇が望まずとも、将臣が和議を望もうとも、誰よりもこの己が戦を待ち望んでいたのだ。

――平穏な世は、もう・・・飽きた・・・

いかに富も、女も、官位も手に入れようとも、
平穏な日々の中で周りの人間たちがする事といえば、
重ねの色目の競い合いや、噂話ばかり。
・・・・白刃を交え、命を削りあう戦ほど、心踊らされる瞬間は無いと言うのに。

――戦の起こらぬ世など、ただつまらないだけだ。

何も起こらない安穏とした日々を、惰性で生きるだけの毎日は
自分でもまるで「生きている」という実感がわかない。
戦いにおける高揚感――負ければ、自分が死ぬと思うその瞬間だけが、
唯一彼に「生きている」という実感を与えることができるのだ。

――だが、もはや悔いても・・・・仕方の無いこと。

最も戦うべき時に戦えなかった、
そんな自分に対する嘲笑であるかのようにクッ、と小さく笑うと、
月光を背に受けながら屋敷へと続く林へ足を数歩踏み入れたとき。

――誰か、いるのか?

あえて振り返らずそのまま歩を進めるが、
後ろから誰かがつけている気配が確かにする。
本人はそれでも気配を殺しているつもりなのか、
足音だけを忍ばせて相変わらず後ろからついてくる。
気配からして恐らく相手は・・・女。
この時分に男の後をつけるなど、一体何を考えての行動なのか。

――まあいい・・・何だろうと構わんさ・・・

今となってはもはや何に対しても興味は持てない。
そして恐らくこの先にも、己の興を引くものなど現れないのだろう。
そう思って、背後の女のことをさして気にかけることもなく再び歩き始めた。

――しかし・・・そうだとしたら、この世の何とつまらないことか。

あの空に浮かぶ十六夜の月の様に、
ただ虚しくこの生が終わるのを待ち続けるのみとは・・・

 

 

――まだ、ついてくるのか・・・

道中少し複雑な道を通ったにも拘らず、
女の気配はまだ後ろからつけてきていた。
ただ一夜の相手を求めているにしては、ややしつこいところがある。

――やれやれ、面倒なことだ・・・

このまま屋敷までつけられるのも何かと面倒だ。
仕方なく、知盛はその場で歩を止めて背後の女へ振り返った。

「何の用だ、女。」

振り返れば、そこにいたのは陣羽織に身を包んだ、長い髪を風になびかせる少女だった。
陣羽織に身を包んでいるということは、恐らくはこれまでの戦に参加している者。
女の身であるにも関わらず・・・だ。
そして、陣羽織の下に見える衣も、常とは異なる・・・この世界のものでは、無いと思う程に。

(まさかとは思うが――異世界より来たという、あの・・・)

「――知盛。」
「!」

初対面であるにも関わらず、女はこちらを既に知っているかのようにその名を呼ぶ。
それだけであるなら特に気にも留めなかった。
自分の名が味方だけでなく敵方にも広く知られていることは知っていたし、
どこからか自分の話を聞きつけたのかもしれない。

「私は、春日望美、源氏の神子。――あなたに、会いに来たの。」
「源氏の・・・・神子、か。
 怨霊を封じ、三草山では源氏の兵を勝利に導いたという・・・あの神子殿か?」
「そうだよ。」

まさかとは思っていたが、よもや本当に本物であるとは思っていなかった。
平家の天敵とされていた源氏の神子に出会えたことは、
小さな喜びにはなった。
――が、今の己の心を晴らすほどの感動を呼ぶほどの事ではない。

「クッ・・・で、その神子殿が俺に会って、どうしようと?
 和議を前に、敵将を討ち取るとでも?」

戦は終わる。剣を交えることなく。
もしこの戦がまだ続くのであったなら・・・
この神子殿とも、いずれ戦う機会があったのかもしれないが。

「私は明日、和議が成ったら――元の世界へ帰る。
 その前に、どうしてもあなたに会いたかったの。――私と、戦って。知盛。」
「ほぅ? 随分と酔狂なお望みだな?神子殿。
 源氏の神子と言えば、今回の和議を進めてきた張本人じゃないのか・・・?
 ―――その神子殿が、俺とは戦いたいと。」

全く、言っている事とやっている事が矛盾している。
それにどこか、先ほどから自分を見つめる女・・・神子の目に宿る光が、
ただの少女から別のものに変わってきているようにも見える。

「そうだよ。あなたと戦う為に――あなたに生きてもらう為に、
 私は和議を成立させる必要があったの。」

俺がこの女と戦う為に・・・生きる為に、和議が成る必要があっただと?
今自分が落胆しているこの和議の成立が、俺が生きる為に必要である、と。
この神子殿はそう言うのか。
確かに、和議が成れば戦は無い。戦で命を落とすことも無い。
・・・・ただ「生きる」には、和議は必要だろう。
だが――和議が成った後の平穏な世を生きることを考えると、
本当の意味で、生きた心地がしない。

「は、て。なぜそうまでしてお前は俺の生にこだわる?」
「――こんな事言っても信じてもらえないかもしれないけど・・・
 私は、別の時空からここへやってきたの。」
「別の・・・時空?」
「そう。・・・この和議が成立しない、別の時空から――」

思ってもみない発言に流石に驚く。
「時空」という言葉が出てくるあたり、流石は本物の龍神の神子といったところか。

「いくつもの時空で・・・私はあなたに会った。
 一緒に舞を舞ったり、怨霊を封じたり、ある時は敵として戦った。」

でも、と表情を翳らせて・・・・まるで、泣きそうな顔をして彼女は続ける。

「そうして私を知ったあなたは、必ず最後に死んでしまうの・・・!
 何人ものあなたが、壇ノ浦の海に身を投げていくのを、
 私はただ見ていることしかできなかった・・・っ!」

なるほど。つまり、たとえこの和議が成らなくとも、
この身は遙か西の壇ノ浦の露となり儚く消える、か・・・
壇ノ浦より西に平家の砦はない。
つまり、別の時空とやらでは平家は源氏に追い詰められて、
逃げ場をなくして―――負けるのだ。
平家が負けて、戦が終わる。
きっとそうなれば、自分は間違いなく身を投げるだろう。
もはやこの世には己の居場所も、生きる意味も無いのだから。

――それだけの事だというのに。

一体なぜ目の前のこの女は、
手が白くなるほど拳を握り締めて、歯を食いしばって・・・涙を堪えているのだろう。
その細い肩が震えるほどに、内に激情を渦巻かせて。

「どんな、楽しい思い出も・・・・
 あなたの命と引き換えになんて、いらない・・・!」

震える声で、彼女はついに剣を抜く。
龍神の神子だけあって神剣と思しき異形のその剣には
どこか神気が篭っているかのような美しさがある。
そして同時に、その大きな瞳が真っ直ぐ自分を射抜く。

まるで、貪欲な獣の目。
純粋で、清らかで、真っ直ぐな、といった定評からは、
全く想像できない・・・本能にのみ忠実な、欲望の目。

――こんな女を、見た事があるか・・・?

無論、無い。
これほどまでに欲が深く・・・
しかも、清らかな龍神の神子ともあろう女が、ここまで貪欲に己を求めるなど。
想像だにしなかった。

――それに、この獣の目は。

俺と、同類ではないか。
血を、戦いを求めることに最高の快楽を覚える・・・愚かな獣の目。

「いい目をするじゃないか・・・気に入ったぜ、源氏の神子。
 今宵一夜の相手として・・・お前のことは覚えておいてやるさ。」
「ずっと・・・覚えていてくれる?」
「さてな・・・・俺は忘れっぽいからな。
 少なくとも、お前に興味がある間は、とでも言っておこうか。」
「そんな・・・!」

それでは不満だ、とでも言いたげな彼女の反応は予想できた。
この貪欲な神子が、今の己の答えで満足できるとは到底思えない。
だから・・・

「俺に覚えていて欲しければ・・・本当のお前を、見せてみろ。
 刻み付けてみろよ。忘れたくとも、忘れられないくらい深く、な・・・」

言えば、彼女は狙い通りにその剣で挑んでくる。
淀みなく繰り出される剣はある時は胸の甲冑を掠め、
ある時は首筋に淡い傷を作る。
獣の本性を露にしたその剣は、舞うような艶やかさを持ちながら、
しかし確実に急所を狙ってくる。
少しでも気を抜けば、己はこの剣に貫かれるのだろう。
だが・・・この剣の宴に狂い、酔いしれる内に――
この剣によって終幕を迎えるのも、悪くないかもしれない。
そう思えるほど、神子の剣は美しかった。

――なぜ、お前はこれほどまでに美しい・・・?

出会った時は言葉を交わしたことも無ければ
姿を垣間見たことも無かった相手であったにも拘らず、
これほどまでに惹きつけられる。
美しい舞を舞うその肢体に、凛と響く声に、
剣風になびく長い髪に、宵闇を引き裂くその剣に、
己を射抜くその熱い獣の瞳に・・・・

 

――お前の、全てに。

 

 

一際強い一閃を跳ね返して間合いを取ると、
やっと辺りが白んできていることに気がついた。
十六夜の月は当に西の空に沈み、反対に東の空から朝日が昇ろうとしている。

――朝日が、昇る・・・・か。

熱くなっていた体中の血が、一気に冷めてくる。

朝日が昇る・・・・それはつまり、今日という日が始まると言うこと。
今日は・・・和議が成る日。――戦が、終わる日。
この目の前の神子が・・・元の世界へと、帰る日。
知盛にとって、全てが終わる日であった。

「名残惜しい限りだが・・・この逢瀬は、ここまでだな。」

和議が成れば、この双刀を振るうことも無く。
神子が元の世界へ帰れば、この体中の血が騒ぐような感覚も、最早無く。
己がこの世にあるという証を表す事も、もう無い。
この双刀を納めた瞬間が、全ての終わり――

――最後の相手が、お前で良かったぜ・・・源氏の神子。

そうして目を閉じて、刀を納めようとした時・・・

「一夜限りの相手で満足?
 私が何の為にこの時空へ戻ってきたと思ってるの・・・!?」

次の瞬間、神子の剣が再び知盛に襲い掛かる。
間一髪で双刀で防いだが、これまでとは何かが違う。

「・・・・?なんだ、これは・・・・?
 束縛・・・か?」
「それは、あなたに教わった技だよ。知盛。
 別の時空で、あなたが私に教えた。」

やはりこちらを真っ直ぐに見る神子の瞳は、まだ諦めていない。
俺と会って、戦って、生かして・・・一体何を望んでいるのだ、この神子は。
俺から「戦」という最高の生きる糧を奪っておいて、何が目的なんだ?

「あなたが、ただ生きてさえいればいいなんて、もう思わない・・・!
 ――血も、肉も骨も・・・・魂さえも・・・っ
 あなたの全てが、欲しい――!」

――・・・・・・・!

「・・・クッ・・・・クククッ・・・ハハハハハッ!!!」
「と、知盛・・・?」

自分が言った言葉がどれほどの力を持っているのか気付かないのか、
言った本人は唖然とした顔をしている。

――まさか、こうも同類だったとはな・・・

力の入らない手から双刀が滑り落ちる。
同じく両足も力が入らず、傍にの木の幹にもたれかかりながら崩れ落ちる。

「知盛!!」
「驚くこともあるまい・・・お前が、その剣で、俺を縛ったんだろう?
 しばらくすれば、動けるようになるさ。」
「そう、だけど・・・」

全く、この神子殿は・・・飽きというものを、感じさせない。
戦いにおいては獲物を逃がさぬ獣の眼差しで舞い、
そうかと思えば鈍感だったり、こうしてひどく焦ったりと。
その表情はまるで千変万化だ。

「知、盛・・・・・生きてるん、だよね・・・?」

そしてその神子殿が今度はまた、あの泣きそうな顔でこちらを見つめてくる。

――ああ、そう言えばそうだったな・・・

いくつもの時空で、何人もの俺の死を見てきたと言っていたか。
そして流転の果てに、この時空へ辿り着いたと。

――その何人もの他の俺にも、この神子殿は先程の様に舞を見せたのか・・・?

あの舞を見るのも、あの熱い眼差しで見つめられるのも、
己こそふさわしい。
他の奴らに見せるには、例え他の時空の己であろうとももったいないと思ってしまう。

「あぁ・・・」

気だるげに答えて、まだ力の入らない腕を何とか神子の方へと伸ばす。

「――来いよ。俺は、ここにいるぜ・・・?」

早く、己の物にしてしまいたい。
その眼差しも、その温もりも・・・魂も、全て。

「とも、も・・・り・・・・っ!」

堪えきれないとばかりに、その大きな瞳から涙を溢れさせて
己の胸に神子は抱きついてきた。
そしてごく自然に、己の腕も彼女を初めは緩やかに、
しかし徐々に強く抱きしめていた。

――そうだな・・・俺は、少なくとも死んではいない・・・

こうして彼女を抱きしめ、その鼓動に耳を傾け、
・・・彼女が思う以上に、その存在の全てを欲しいと願う限りは。
己の存在は、ここにある。
この身を生かすその証は・・・まさしく彼女自身。

「今更頼まれても、もうお前を離す気は無いぜ・・・・?

 

 ――俺の・・・神子殿・・・」

 

 

欠け失われ行く十六夜の月は、一夜の逢瀬の終わりとともに沈んだ。
昇り来るは、燦然と輝く満ちた日輪。
己には不似合いと思っていたその光さえも、
心地よいと感じる。
己を表すその術は、この腕の中の温もりに――。


完。

作品提出1次〆切当日にギリギリ提出でした;
担当お題「己を表す」ということで
一体どういう風に書けば良いのかさっぱり困ってしまったんですが、
「己(という存在)を表す」という風に拡大解釈させて頂いて、
知盛が自分の存在を表すには戦場しか無いよなーという結論に至り、
ただ戦うだけなのもつまらないので
恐れ多くもEDのあのシーンの知盛視点と相成りました・・・!
神子は全て知ってるのに対して知盛は何も知らない状態から
いきなり恋愛EDにまで至るので
彼の内側の描写というのが少し難しかったです^^;

素敵企画に参加させていただいてありがとうございました!!

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